投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 3月25日(水)19時32分26秒     通報
「師弟」の精神こそ、仏法の 精髄せいずい であり、学会の根幹中の根幹であると、後世のために改めて申し上げておく。

戸田先生は、昭和二十八年(一九五三年)、中央大学の講堂(東京・お茶の水)で行われた学会の第九回総会の折、「 和合僧わごうそう 」についてこう語られた。なお、中央大学は戸田先生の母校である。
「僧とは、社会を指導し、人を救う資格をもつのが僧である。心中ではたがいに憎しみ、猫がねずみをうかがうようなのは、形は法衣をまとっても僧ではなく、いまの学会の組長、班長が、一生懸命でいっさいの人々のために働いている姿こそ、真の僧といえるのである。この結合を破るものには、かならず罰がある。

うそだと思ったら、やってみたまえ。和合僧とは、仏法上の哲理をもってすれば、学会のことである」──と。

衣ころも によって「僧」となるのではない。「信心」と「行動」によって「僧」となるのである。「正法」によらず「 己義こぎ 」を構え、「人々」のためでなく「自分」の欲望のために働く 坊主ぼうず は、人間以下である、と。