投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 5月12日(火)23時53分50秒     通報

>「天魔が入った権力者を、民衆が糾弾して何が悪い」

まさにその通りであり、短いフレーズながら、真理が端的に表現されている言葉だと思います。
ネット時代というのは、一人ひとりの個が輝く時代であり、世界中のあらゆる人と瞬時につながれる時代でもあります。当然情報においても、一部の人間が握っているような段階は終わっており、言うならば、「一人ひとりが主役の時代」が到来しました。
このような時代においては、偽物は通用しません。本物でなければ生き残ることはできず、淘汰されていきます。当然悪い権力者も、その本質が暴かれ、民衆の手によって、断罪されます。それは健全であり、権力者が不正を起こしにくい世の中になってきたということでもあります。悪人にとっては至極やりづらい世の中ともいえます。

何も悪いことをしていないのであれば正々堂々としていればいいわけであり、創価学会にとっては願ってもない状況でしょう。多くの現場の会員は、まじめに生きていますし、不正などしないので堂々と生きています。びくびくしているのは、不正をした職員や、増上慢の幹部であり、そのような人間がいると、淀みますので、学会にいてもらう必要はありません。悪い幹部を会員が糾弾するのは当たり前であり、それが今という時代なわけです。
もちろん糾弾するには根拠がなければなりませんし、冤罪にならないように気をつけなければいけないのは言うまでもありません。

先生の指導においても、「悪と戦うことに遠慮はいらない」と言われていますが、それでも現実においては空気を読んだり、配慮をしたりします。何も知らない会員が不必要に動揺しないように、水面下で戦うこともあります。本当はそのような遠慮はしなくていいのでしょうし、遠慮していたら勝てないくらい、大変な戦いなわけです。それでも人間の世界であり、感情の動物ですから、ある意味うまくやっていかなければならないとも考えます。熱くなりすぎて冷静さを失ってしまったら、悪の思うつぼであり、そういうちょっとした隙(揚げ足取り等)をついて攻撃してくるものですから、戦うのであればそれ相応の準備が必要でしょう。己を知り、敵を知ること、これ戦の基本であります。

創価学会は宗教界の王者であります。であるならば、最高幹部であろうとなんであろうと、狂いがあるのであれば、会員に糾弾されてこそ本物である。会員が動揺するからといって、不正を隠し、隠ぺいしていく体質が本物と言えるでしょうか。学会自体も今、ふるいにかけられているのではないでしょうか。