投稿者:ロマン   投稿日:2015年 3月22日(日)00時09分28秒     通報 編集済
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異常な人格、第六天の魔王(権力欲)、仇討ち(勇気)

2004/2/11 全国総県長会議への名誉会長のメッセージ

一、この2月4日は、中国の「人民の母」鄧穎超(とうえいちょう)先生(周恩来総理夫人)の100周年の誕生日である。
中国の人々の鄧穎超先生を慕う声は、あまりにも深く大きい。
私たちにとっても、先生との友誼(ゆうぎ)は、永遠に忘れ得ぬ歴史である。
「正義が一歩高まれば、魔はその十倍になる」
ここに、鄧穎超先生の鋭い人間観があった。たしかに、その通りである。
ゆえに、正義は戦い続けなければならない。障魔を完膚(かんぷ)なきまでに打ち倒さなければならない。

一、あるとき、鄧穎超先生は、悪の「四人組」との戦いを振り返られたことがある。
四人組の中心者である江青(こうせい)が、どれほど異常な人格であったか。
そばで世話をする服務(ふくむ)員に対して、どなったり、暴力を振るったりするのは、日常茶飯事だった。
江青に話しかけるときは、頭を彼女の目の高さよりも上げてはいけなかった。だから、腰をかがめるか、ひざまずいて話さなければいけなかった――。
権力の魔性に取りつかれると、人間を人間として見られなくなる。人々を自らの欲望の手段に使って、皆を不幸に陥れていく。これほど恐ろしいことはない。
仏法では、その本質を、第六天の魔王であり、他化自在天(たけじざいてん)の生命であると鋭く喝破(かっぱ)している。
周総理は、人民のために、最後まで四人組との戦いに命を削った。
その分身である鄧穎超先生は、周総理が亡くなった時、この四人組との闘争に決着をつけることを深く決意された。悲しみに浸(ひた)るのではなく、周総理の仇討ちに、毅然として立ち上がられたのである。
鄧穎超先生は、こう語っておられる。
「私は覚悟を決めました。四人組が、私の住んでいるところに押し入り、私を捕らえ、痛めつけ、迫害し、家宅捜索して家を差し押さえ、あらゆるものを盗んでいくだろう。しかし、私は、何をされようとも、断じて怯(ひる)まず、沈着に応戦しようと決心したのです」

そして、こう、きっぱりと言われた。
「何があっても、私は恐れません。苦難を恐れては革命は成し得ない。革命を成すうえで苦難に遭うことは、当然のことなのです」
なんと偉大なる人民の母の魂の叫びであろうか。
この恐れなき母の勇気が、周総理の逝去(せいきょ)から9ヵ月後に、四人組を打倒し、祖国を救う原動力となっていったのである。