投稿者:河内平野   投稿日:2015年 3月20日(金)14時45分23秒     通報
キリスト教は全世界に流布した。大いなる勝利といえる。

では、なぜ勝利したのか。
ローマ帝国という、当時の世界一の権力に対抗して、迫害また迫害、殉教また殉教の連続であった。

それなのに、結局は、大ローマ帝国を動かす″宗教界の王者″となった。
そして、ローマ帝国が滅亡した後までも、世界へと広まっていった。

なぜなのか。
じつは、この「殉教の精神」があったから、勝利したと言える。

権力と妥協しなかったのである。
権力に服従した宗教は、やがて必ず奴隷化され、魂を失って滅びていく。

これが歴史の鉄則である。

権力と戦う宗教だけが、″光″を出す。
″力″を出す。形のうえで、勝とうが負けようが、「魂」は勝利しているからである。

ここから、次の時代へと広がっていく。
「殉教の精神」――これこそが根本である。
「一念三千」であるゆえに、この精神、この一念によってしか広宣流布はできない。

キリスト教は、初めは小さな、貧しい集まりにすぎなかった。だれも重要視していない。
むしろ、バカにしていた。

そのキリスト教が、どうして、ここまで広がったのか。
これについて私は、トインビー博士と論じ合った。

博士は、宗教としてはとくに大乗仏教を高く評価しておられたが、
それはそれとして、キリスト教の歴史的位置は大きい。

博士は、キリスト教が伸びたのは殉教の精神を貫いたうえに、
「大衆の心を、とらえたからだ」と言っておられた。

大衆の心を、がっちりと、つかんだからこそ、いかなる権力にも、
いかなる時代の変化にも負けない基盤を築くことができた、というのである。
さすがの慧眼である。

大衆が大事なのである。
有名人、権力者、財産家、学者、そのほか、いわゆる″偉い人″が大事なのではない。

全部、大衆の幸福こそが目的である。ほかは手段である。

この根本を間違って、大衆を見くだし、大衆を手段にする人間は、″偉い人間″どころか、悪人である。

民衆の幸福のじゃまとなる。

日本も、ここが転倒している。
また転倒した頭で、学会を利用しようという人間もいる。

この転倒を正さなければ、民衆の勝利はない。