投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 3月15日(日)17時55分36秒     通報
県・区夏季研修、第二回長野県総会 (1991. 8. 4)

実証精神を欠くことの危険性

ある学者いわく「日本人にいちばん、欠けているのは、『実証精神』であり、『科学的精神』である」と。日本人は、概して、ものごとを自分自身の目で見極めない傾向があるというのである。むしろ、安易に人のうわさや、″権威″の言うことを信ずる場合が多い、と。

私には、海外に多くのすばらしい友人がいる。どの方も、自分自身の確固たる判断基準をもっておられる。そして何ごとも、自分で確かめ、自分で考え、自分で判断し、自分の責任で行動する。
そうした「自立した個人」であるゆえに、いったん「真実」を見極めたならば揺るがない。″不変の友情″も築いていける。日本にはまだ、こうした土壌がないというのである。
たとえばイギリス人は、各国のなかでもとくに、冷静、正確であると、よく言われる。私のこれまでの経験からも、うなずける意見である。

「まず事実を正確に調べよう。それから、話し合おう」――こうした、地に足をつけた「実証精神」が伝統になっているようだ。
もつとも、そうした冷静さをからかう他国の人々もいて、「イギリス人は女性を見ても、すべてに冷静に点数をつけ、『満点』だと計算できてから、しかる後に、おもむろに恋におちる」(笑い)と言われたりもする。それほど″一時の感情に左右されない″というわけである。

そうした笑い話はともかく、「自分の意見をもたない」「確たる自分がない」国民は不幸である。時の勢いに押し流され、″周囲の思惑″に左右され、付和雷同してしまう。いつのまにか、取り返しのつかない地点まで転落していく。――戦前もそうであった。

″おかしい″と思っても言えない。むしろ反対意見の人を抑えつける。じっくりと道理をもって対話するのではなく、性急に「決めつける」――冷静に考えている人を見ると、かえって″おかしいのではないか″(笑い)などと非難する。

いちがいには言えないが、こうした自立性のない、脆弱な精神風土が「独創が生まれない」と批判される原因にもなっていよう。「人まね」と違って、「独創」は、つねに「時代の常識との戦い」であり、たった一人ででも、自分の考えと信念を貫く強さがなければ育たないからである。
「創価」――価値の「創造」をめざす私どもの世界にあっては、断じて、こうした″権威に追随する″弱さがあってはならない。

皆が平等に、また冷静に、何でも語り合い、心から納得し合って進んでこそ、真の「和合」の姿である。そこに、一切を価値創造の糧とし、一切を変毒為薬(毒を変じて薬と為す)しつつ、限りなく「広宣」と「福徳」の道を開いていくカギがある。

信念と英知をもった一人一人の「強き心」こそ″勝利へのバネ″なのである。
ともあれ、「迫害の嵐」は、「つくられたイメージの暗雲」を伴う。「さもあるらん」とのゆがんだ独断が、抑圧の引き金となる場合が多い。
ゆえに、つねに賢明に、「真実」を見抜かねばならない。「事実」を見極めねばならない。三障四魔「本質」を見破らねばならない。