投稿者:佐武 誠   投稿日:2015年 3月 7日(土)20時46分52秒     通報 編集済
こんばんわ。
今夜は有島重武さんとの忘れがたき思い出について私事ですが少々。

氏の晩年、私が男子部の頃、毎週2日間程度、お宅にお邪魔し脱講運動の為の書簡作成のお手伝いをしておりました。

日顕宗門問題により、氏の若き日の同志もご多聞に漏れず多くが脱会しておりました。
その方々へ、耳が不自由であった有島氏は毎日精魂込めた手紙を認めておりました。

私がお邪魔させて頂いたのは 宗門破折に引用するご文や古文書の検索をお手伝いさせて頂くためでした。

ある日、有島さんとの会話が「師弟」に及んだ時、
氏は池田先生に厳しく叱られたこと語ってくださいました。

詳細は割愛しますが、氏が池田先生にご報告のお手紙を出された時、その最後に「戸田城聖の弟子 有島重武」と認められたそうです。

数日後、先生より電話があり。先生から開口一番こう言われたそうです。
「戸田城聖の弟子は私ひとりだ。今後、先生の弟子をなのるな」

池田先生の「師」への一念。私には正直未だに想像も及びません。

<追記>
それ以来、有島氏は一度もこれを呼称されませんでした。