投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 5月10日(日)10時09分20秒     通報

広宣流布の戦いとは、第六天の魔王との壮絶な領地争いである。そして、悪というのは人の弱さにつけこんでくるものである。故に強くならなければ、魔に食い破られ、第六天の魔王に支配されてしまう。それを阻止するためにはどうすればいいか。まずは、悪の付け入る隙のない土台作りをしていくことが重要であると考えます。
創価学会の土台とは現場である。現場が強く賢くなればなるほど、悪を抑止し、好きにさせない土壌となっていく。逆に現場が弱いと、第六天の魔王の思うつぼである。この先、何が起きるかわからない。最高幹部の悪事を知って、一々動揺するような信心では新世界の海は渡れない。新入会のメンバーであったとしても、一度学会に入ったのならば、はじめから悪と戦うということを教えていく。なぜならば、悪と戦うことが日蓮仏法だからである。

そういう意味で今後の自分自身の学会活動の方針として
・圧倒的な唱題
・圧倒的な折伏・家庭訪問
・圧倒的な教学の研鑽

この「圧倒的」という言葉の中に深い意味があります。教学部レポートでの「9割はついてこられる」発言でもわかるように、現場は甘くみられています。こんな舐めた発言はありません。だからこそ好き勝手できてしまうのだろうし、それに対抗するには強くなるしかない。まさに教義変更の一連の出来事を通して感じたことは「もっと強く賢くなれ」であり、御仏智であると私は捉えています。最高幹部の悪事をあばき、断罪することと、現場を強くしていくこと。この二つが具わってこそ、本当の意味での悪との戦いとなる。

傲慢な幹部を寄せ付けない、悪と戦うことを根底とした獅子の信心の陣列をつくること。今までの信心の在り方を見直し、ワンランク上を目指すことを心がけてまいりたい。変わらなきゃも変わらなきゃである。悪を善知識に変え、広宣流布を加速させるための契機にしてこそ価値創造であり、活かすということである。現場の一会員が、最高幹部を凌駕する信心になっていくことが大事であり、そういう獅子の人材を育成していくこと。それが第六天の魔王の跳梁を許さない土台作りとなる。

今ある問題から目を逸らさないという意味においても、最高幹部の悪事をあばくのは大事です。日本というのは特に、問題があっても、先延ばしや、見ないふりをします。何か重大な事態にならない限り、動かない傾向にあります。これでは駄目であり、兆候のある内から手を打たなければ、無慈悲というものです。現場レベルにおいても問題は多々ありますが、手を打たないケースが目立ちます。根底にあるのは、幹部の「保身」であり、それ自体が54年と同じ命であることに気づかなければなりません。「どんな問題も絶対に解決してみせる」との一念でなければ、学会のリーダーにはなれないのです。保身を捨ててこそ学会のリーダーであり、幹部であると考えます。

羊千匹よりも獅子一匹たれであり、圧倒的であってこそ獅子である。獅子の叫びが獅子を呼び、真の団結となる。悪を責めない戦わない団結など、脆いものであり、偽物です。団結という名の保身であることを見抜かなければならない。戸田先生の「臆病者は去れ」との叫びは、まさにそのことを指しているのではないでしょうか。