投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 3月 3日(火)16時42分40秒     通報 編集済
あえて解説等は不要かと。今も昔も創価学会はこの精神です。
仏法は摂受・折伏時によるべし譬ば世間の文・武二道の如し

されば昔の大聖は時によりて法を行ず雪山童子・ 薩?(さった )王子は身を布施とせば法を教へん菩薩の行となるべしと責しかば身をすつ、肉をほしがらざる時身を捨つ可きや紙なからん世には身の皮を紙とし筆なからん時は骨を筆とすべし、破戒・無戒を毀り持戒・正法を用ん世には諸戒を堅く持べし

儒教・道教を以て釈教を制止せん日には道安法師・慧遠法師・法道三蔵等の如く王と論じて命を軽うすべし、釈教の中に小乗大乗権経実経・雑乱して明珠と 瓦礫(がりゃく)と 牛驢(ごろ)の二乳を 弁わきま へざる時は天台大師・伝教大師等の如く大小・権実・顕密を強盛に分別すべし、

畜生の心は弱きをおどし強きをおそる当世の学者等は畜生の如し智者の弱きをあなづり王法の邪をおそる

諛臣ゆしん と申すは是なり

強敵を伏して始て力士をしる、

悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し、

これおごれるにはあらず正法を惜む心の強盛なるべし

おご(傲 )れる者は必ず強敵に値ておそるる心出来するなり例せば 修羅(しゅら )のおごり 帝釈たいしゃく に せ責 められて無熱池の蓮の中に小身と成て隠れしが如し、

正法は一字・一句なれども時機に叶いぬれば必ず得道 成 るべし千経・万論を習学すれども時機に相違すれば叶う可らず。