2015年2月5日 投稿者:虹と創価家族 投稿日:2015年 2月 5日(木)20時42分5秒 通報 編集済 お陰様で正確に裁判の流れが確認できました。 皆様にご迷惑おかけして誠に申し訳ありません。 過去の投稿は修正しておきます。 さて、公明OBの裁判の流れをまとめると、 2005年8月 公明党議員OB3人が、『週刊現代』に掲載された記事で矢野の手帳を強奪したかのように報じられ名誉を傷つけられたとして、矢野と講談社らを提訴。 2007年12月 手帳裁判の一審判決。【学会側が全面勝利。】矢野に総額660万円の損害賠償金の支払いと謝罪広告の掲載を命じ、手帳返還請求を棄却する判決を言い渡した。 2009年3月 手帳裁判の二審判決。【学会側逆転敗訴。】矢野側の主張を全面的に認め、持ち去った手帳の返却と合わせて300万円の支払いを命令。学会側による音声データの改竃を認定。 2009年9月 最高裁が二審判決を支持、上告を受理しない決定を下し、【学会側の敗訴が確定。】 つまり正確には、カッコ内の【学会側】は【公明OB3人】ということですね。 谷川の裁判の流れをまとめると、 2008年5月20日 谷川佳樹は、『週刊新潮』の矢野に関する記事で名誉を棄損されたとして、矢野や新潮社らに1100万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求めて提訴【2】。 2011年1月 東京地裁が谷川勝訴の一審判決。矢野・週刊新潮・早瀬編集長に33万円の賠償金の支払いを命じたが、その一方で、谷川が矢野を脅迫した事実は認定された。双方が判決を不服として、東京高裁に控訴。 谷川は矢野に対して勝利した。 しかし、以下にあるような不可解な和解への流れになった。 2011年4月 谷川・矢野二審裁判の裁判長が交代。和解勧告の流れへ。 2012年2月 双方が裁判所の勧告を受け入れ、【1】~【4】の4件すべての訴訟を取り下げた。 谷川は勝利していたのに、何故か学会は不可解な和解を選択した。 敵を追い込んだのに、何らかの理由で敵との和解となってしまった。 解説者様、このような内容で宜しいでしょうか? Tweet