投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2015年 2月 1日(日)21時11分31秒    通報
折角なのでユゴーに関する池田先生のご指導から掲載します。
″精神の殿堂″にユゴーの立像
広布史に不滅の「4・2」記念、朗らかな第一回総会、本当に、おめでとう!(拍手)
皆さまのために、きょうはソ連・キルギス自治共和国(=当時)から、はるばる二人のお客さま(ジェエナリエフ農業省副大臣、オロゾエフ農業研究所副所長)が祝福に来てくださっている。(拍手)
さらに、フランスからはタジャン会長(フランス・リベルテ。ダニエル・ミッテラン財団支援協会)ご夫妻が出席してくださった。あわせて、心から御礼申し上げたい。(拍手)
また皆さまも、いつかフランスヘ、そしてキルギスヘも、友好の旅へ悠々と出かけていただきたい。(拍手)
「楽しくて、しかたがない」「勇気がわく、元気が出る」「心が明るく、あたたかくなってくる」――これが本来の″信仰の世界″である。最高の″人間性の世界″である。この、世界でもっともうるわしく、尊き、かけがえのない世界を、皆で守りぬき、皆で大きく広げていっていただきたい。(拍手)
さて、この創価大学の新しい記念講堂の正面ロビーに、高さ二・七メートルの威風堂々たるユゴーのブロンズ像がある。皆さまも、先ほど入場のさい、ご覧になったと思う。この講堂を訪れる人は、まず初めに、ユゴーと出あうことになる。
鋭い、それでいて、慈愛深いユゴーのまなざし。その顔には、徹底した″大闘争″のなかで鍛え上げた、円熟期の人間の風格をたたえている。
ユゴーの生涯――それは、民衆をいじめ、人間性を抑圧する権威、権力との連続闘争であった。大闘争が本物の「人間」をつくる。楽をして「人格」の陶冶はできるはずがない。
ユゴー像は、右手に、自身が精魂かたむけた著作を、しっかりと持っている。あたかも、「この書物は、私が書いたものだ。私の生命の結晶だ!」と訴えているかのようだ。
私ども創価学会の組織も、歴代会長が命がけで、また皆さまが精魂こめて、営々と築き上げてきた労苦の結晶である。私どもの人生の建設譜の象徴であり、金字塔である。ユゴーが著作を誇らかに握りしめていたように、私どもは、この尊き″人間共和国″を一生涯、堂々と築き、栄えさせてまいりたい。正法のため、人類のために。(拍手)
またユゴー像の姿勢は、いつでも行動に飛び出せる闘魂をみなぎらせている。
「人生、一瞬一瞬が、闘争である。戦場である」「よし、どこにでも行くぞ、戦うぞ」との意気に燃えて――。そして「思想は行動してこそ、いのちをもつ」と全身で教えているかのようである。
像の台座には、次のような『レ・ミゼラブル』の一節が刻まれている。
海洋よりも壮大なる光景、それは天空である。
天空よりも壮大なる光景、それは実に人の魂の内奥である
(豊島与志雄訳、岩波文庫)
これは、私も、青年時代から大好きな言葉であった。仏法にも通じる英知が、詩的に表現されている。
このブロンズ像は、現代アメリカの第一級の彫刻家モントーヤ氏の作品であり、昨年、アメリカの新聞でも大きく取り上げられた。その大作を、私の友人のアメリカ実業界のある著名な方が、寄贈してくださった。氏は七十歳を超えておられるが、私どもとの出会いを″人生の転機″とまで喜んでおられたとうかがった。
なかんずく、教育への真剣な取り組みに心から共鳴してくださり、「私の一生でもっとも大事なものは『教育』である。『教育』に生涯をささげておられる名誉会長のために、最高のものを贈りたい」と、深い友情をこめて、このユゴー像を寄贈してくださったのである。(拍手)
「人間」をつくれ、「人間」こそ目的
ュゴーは、暗黒なる″精神の奴隷制″に対し、敢然と戦った。
断じて傲慢を許さない。人間は「平等」ではないか。資本家が何だ。高官が何だ。司祭が何だ。金力や権力、宗教的権威は「尊厳なる人間」よりも上位にあるというのか。ユゴーの舌鋒は鋭く熱かった。
次元は異なるが、私どもの「学会精神」にも通ずる叫びといえよう。仏法は「平等」がいわば一つの″生命線″である。なかんずく日蓮大聖人の仏法は「一切衆生平等」を明かされた大法である。その根本精神は、いかなる迫害があろうとも守らねばならない。これが、大聖人のお心にかなう道であると信ずる。(拍手)
ユゴーは、高らかに叫ぶ。