投稿者:河内平野  投稿日:2015年 1月29日(木)17時24分51秒    通報
この「裁判」の章は、
きたる十月二十一日付の二十六回で終了し、これをもって第十一巻は完結となる。

そして、十一月十八日の「創価学会創立記念日」から、第十二巻の連載を開始したい。
第十二巻は、ふたたび時代を昭和三十二年(一九五七年)八月に戻し、
三十三年四月の、恩師戸田先生の御逝去の直後までを書きつづっていく予定である。

この間、お亡くなりになる寸前まで、戸田先生は全魂をかたむけて、後継の青年を育成された。
また、時とともに不滅の光を放つ、九月八日の原水爆禁止宣言、そして闘病――。

さらに、病を押しての「三・一六」の盛儀――。
最後まで燃えさかった恩師の精神の炎と光をつづって『人間革命』を完結させたいと考えている。

私が『人間革命』の執筆を決意したのは、戸田先生の「真実」を、
正しく後世に伝えたい、残しておかねばならないとの思いからであった。

戸田先生の弟子と名乗る人は多かった。
また、戸田先生にお世話になり、直接、指導を受けた人も数多くいた。

にもかかわらず、戸田先生の死後、師敵対して、学会に反逆する者も出ている。
それは、戸田先生の「真実」を知る人がきわめて少なかったことを物語っている。

事実と真実――これほど判別のむずかしいものもない。
人間の目に映った「事実」が、必ずしも「真実」を表しているとは限らないからである。
「事実」は、ある意味で、だれにでも見える。
しかし「真実」は、それを見極める目を磨かなくては、決して見抜くことはできない。

こんなエピソードがある。
戦前のことだが、初代会長の牧口先生が一生懸命に講義をされているのに、
理事長の戸田先生は、よく将棋をさしていたというのである。

周囲の人は、それを見て、「会長は講義、理事長は将棋」と陰口を言い、
「不遜極まりない、傍若無人な振る舞いである」と非難した。
しかし、そこには、戸田先生の深いお考えがあった。

当時、厳しく罰論を説く牧口先生についていけず、一部に離れていこうとする人々もいた。
そこで戸田先生は、悠々と将棋をすることで、学会の自由さを示しながら、
雰囲気をなごませ、励まし、退転への防波堤となっておられたのである。

また、戸田先生が本当の力量を出されると、他の幹部が《男の嫉妬》を起こすことも見抜いておられた。

戸田先生は、非難も覚悟のうえで、
同志を一人たりとも落とすまいとして、あえて、こういう行動をされたのである。

そうした戸田先生の「真実」を、牧口先生だけはご存じであった。
だからこそ、あの厳格な牧口先生が、そうした振る舞いを、決して咎めようとはされなかったのである。
そして重要な問題は、ことごとく戸田先生に相談されていた。
これは、妙悟空すなわち戸田先生著の小説『人間革命』に記されている逸話である。

【第十三回関西総会、第五回兵庫県総会、常勝の花満開総会、県・区代表幹部会 平成三年十月十六日(全集七十九巻)】