投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 4月19日(日)10時52分14秒     通報

支援についての話が出ているので、私の思うところを述べさせていただきます。
現在、創価学会は、市議、都・県議、参議、衆議と多いところで4つ、少なくとも3つの選挙の支援活動を行っています。しかも、正式な学会活動として支援活動をしているわけであり、それにかけるエネルギーは膨大であります。選挙期間にもなると、未来部育成や折伏は後回しとされ、組織としても消耗戦となる。そして、本来宗教活動というのは、数をメインにするべきではなく、「どのような一念で行動しているか」という心を観ていくものであり、支援活動はどうしても数を追うものとなる。故に、宗教活動としての支援活動というのは、ふさわしくないものであり、できれば避けた方がよいと考えます。

しかし、仏国土建設という観点から見るに、政治を無視することはできない。一人ひとりが幸福になるシステム(環境)を整備することは重要であるからだ。仏国土にふさわしいシステムの構築は、広宣流布の戦いの一側面であり、大事なことでありましょう。創価学会では、支援の活動を「法戦」と位置づけ、活動の柱としているのはそのためだと思われます。現場では幹部が平気で、「支援の活動は折伏よりも功徳が上である」と指導したりしており、このような極論指導は、失笑しながら聞いています。

学会員にとって、支援活動は法戦なので、政策については二の次となります。ある意味、語り口さえあればそれでよく、政策の中身を精査することには関心がないように見受けられます。自分の思考をいかに支援政党に合わせるかであり、そこには自分の頭で考えることがないのではないか。どうしても幹部も支援政党寄りの考えとなり、肝心な「あなたはどう思うのか」がなくなる。支援活動というのは、信心の側面と現実の政治という側面の二つの側面があり、ごっちゃにすると思考停止人間となる。思考停止の活動家がどれほど多いかは論を待たないでしょう。一番の問題は、支援活動を通して「民衆が賢くなっていない」ということではないかと感じます。

選挙が終わった後に、支援した議員にどれほど関心があるというのか。次の戦いに切り替わった瞬間から、まるでなかったかのように気持ちも切り替わる。ある議員と話をした時に言っていました。「学会員はもう少し政治に関心をもってもらいたい」と。政治に関心があるのではなく、「功徳」に関心があるのだろうけど、なんとも御粗末である。

そろそろ支援の在り方も検討されるべき時代に入ったと思います。数を追う分、会員にいらないプレッシャーもかかってしまう。支援は自由といいながらも、正式な学会活動として取り組むわけだから、支援したくない人は学会活動できなくなるわけです。また、報告があるのだから、そこには実質的な自由はなく、がんじがらめでもあります。支援活動で嫌な思いをして、組織から離れていった人もたくさんいます。人知れず、人材の流出も起きており、そういった犠牲があった上での当選だったりするわけです。支援活動で人材が増えたのか減ったのか。こういう角度から見ていくことも必要でしょう。

では具体的にどうすればいいのか。私は単純に、報告をなくせばいいのではないかと思います。これだけで問題は、ほぼ解決するのではないか。学会活動のメインは、折伏や人材育成であり、それ以外は従であります。支援活動は枝葉であり、それがメインになっているからおかしくなるのではないか。たとえ落選したとしても、それは議員の責任であり、学会員の責任ではない。支援活動してもしなくても自由(報告なくす)にしたほうが、かえって票は伸びるかもしれない。人間の心理というものはそういうものであり、押してダメなら引いてみろである。どんな結果になるかはわからないが、一度報告撤廃した支援活動をしてみればいいと思います。そこで出た数字こそが、その政党の実力であり分相応というもの。いまの支援活動の在り方は、学会員に負担をかけ過ぎであり、はっきり言って、よくないと思います。政党を甘やかしてしまう行為でもあり、マイナスである。

政治家には厳しく接しなければ、「自分は偉い」と錯覚する議員も出てくるでしょう。そういう意味でも、支援活動での報告をなくし、議員にプレッシャーをかけないといけないと思うのです。学会員の負担も減るし、政治家へのプレッシャーもかけられるなんて、まさに一石二鳥ではなかろうか。本当に民衆から支持される政党になれば、支援団体の全エネルギーを消耗するような戦いなど必要なくなる。そのような方向にもっていくのが当初の方針ではなかったのか。50年以上経過しているのに、いつまで同じようなことをさせているのか。

支援の活動の思い切った方針転換は、ただ「報告をなくす」というシンプルな結論が私の案であります。それでも勝てるだけの実力と魅力を備えてこそ、真に民衆のための政党となりえる。「いつまでも甘えてんじゃね~ぞ」と、多くの会員が心の底で思っているのではないでしょうか。必要以上の支援が、党をダメにする。その成れの果てが、今の党の体質をつくり、ごまかしカメレオン政党へと変貌してしまったのではなかろうか。実に残念であり、反省すべき点である。