諫言書「遠藤文書」の真相 七
投稿者:イササカ先生 投稿日:2015年 2月27日(金)15時38分46秒

池田先生はそのなかで、「不二」とは「合一」だと指導しています。

さらに続いて「昭和三十一年の戦いに直面したとき、彼の弟子たちは戸田の指導を仰いだが、彼らの意図する世俗的な闘争方針を心に持しながら、戸田の根本方針を原理として聞き、結局、彼らの方針の参考としてしか理解していなかった。
戸田の方針と彼らの方針とは、厳密にいって不同であったのである」としました。つまり、「師弟不二・合一」ではなく「師弟の道・不同」ということです。

そして「師弟の道を歩むのはやさしく、師弟不二の道を貫くことの困難さがここにある」と結論しました。その後、池田先生は、山本伸一の「師弟不二の道」の実例を通して、こう指導しています。

長いですが大事なところなので引用します。
「ただかろうじて、山本伸一だけが違っていた。
彼は関西方面の最高責任者となったとき、戸田の膝下にあっての久しく厳しい薫陶から、
戸田に言われるまでもなく、ひとり多くの辛労に堪えながら、彼は作戦を立てた。その彼の作戦の根本は、戸田の指針とまったく同一であった。不二であった。彼には戸田の指導を理解しようなどという努力は、すでに不必要であった。

以来、戸田の時々刻々の指導の片言隻句は、彼の闘争方針の実践にますます確信を与え、いよいよ渾身の力量を発揮する縁となったのである。

彼は一念において、すでに戸田の一念と合一したところから出発していた。
ともあれ、大聖人の仏法が師弟不二の仏法であるならば、一切法がこれ仏法であるがゆえに、
広布実践という現実的な昇華のなかにも、師弟不二の道が貫かれていくことは当然の理といわなければならない。

後の話になるが、戸田が深く尊敬申し上げていた堀米日淳上人のご説法が思い出される。
『戸田先生は師弟の道に徹底されておられたがゆえに、あの深い仏の道を獲得されたのである。

・・・・創価学会は何がその信仰の基盤をなすかといいますと、師匠と弟子という関係である。
この関係に徹すれば、仏法を得ることは間違いない。

・・・・戸田会長ほど初代牧口先生のことを考えられた方はない。親にもまして初代会長に従ってこられた。

・・・・この初代会長、二代会長を経て、皆さま方の信仰のあり方、また今後の進み方の一切ができ上がっている』

――まさしく、創価学会の実践的生命もまた、師弟不二である。

師弟不二の道は、一念における荘厳な不二にあるといわなければならない」
と訴えました。つまり、学会組織の運営方針や活動方針という実践的な組み立ては、永遠の師匠である「三代会長」の指導を基準にして実践するということです。