投稿者:河内平野  投稿日:2014年12月10日(水)12時49分15秒    通報
「信念の人」を育てゆく広布の組織である。
何より、まず自分自身が挑戦また挑戦の「信念の人」でなければならない。

仏法者の人生は、あえて苦難に挑む開道の人生である。
「事なかれ主義」の正反対なのである。

御書に「難来たるを以て安楽とう意得可きなり」(御書七五〇頁)
――法華経安楽行品に説かれる「安楽」の意義とは、難が来ることを安楽と心得るべきである――と。

何も行動しなければ、何も難は起こらないかもしれない。
しかし、それが「安楽」なのではない。
そこには向上も歓喜も充実もない。
幸福とはいえない。当然、成仏もない。

三障四魔や三類の強敵を恐れて、《ほどほどに》行動し、
《適当に》頑張り、小さく固まって生きる――そうした臆病は信仰の死であり、青春の死であろう。

だれ人が何を言おうとひるまない「信念の人」、
《世界最高の「勇気」と「正義」の人》――それこそが、信仰者なのである。

いずこの世界であれ、組織が大きいほど、また整備されるほど、
「形式主義」と「事なかれ主義」が横行する。
多くの場合、そこから組織の衰退が始まる。

大切なのは、「前進すること」である。
つねに前へ、また前へと、進み続けることである。
そのたゆまざる歩みのなかにのみ、組織の真の安定はある。

「前進」を忘れた組織は、それがいかに安定して見えようと、
発展への鼓動はない。はつらつたる喜びはない。

まして、学会は、「広宣流布」の団体である。「信心」の団体である。

信心に後退はないし、《もう、これでよい》との停滞もあってはならない。
つねに前進、つねに挑戦が信心であり、学会精神である。

「学会精神」とはまた「建設精神」である。
「開拓精神」であり、「闘争精神」である。
旺盛な生命力で、いかなる組織悪も打ち破り、
いわば「組織善」の模範を築き、また築いていく。
その繰り返しのなかに、「広宣流布」の道はある。

また、広布の組織を支え、守り、発展させゆく戦いは、
そのまま、「自分」のためであり、「社会」のためである。
さらには、「家族」「先祖」「子孫」「後輩」等々、
縁するすべての人々の幸福へと通じていく――このことを、強く確信していただきたい。

「妙」とは、「蘇生の義」「開く義」「具足の義」と説かれる。
つねにみずみずしき生命の息吹で、あらゆる行き詰まりや限界を超えて、新しき創造の道を開く。

勝利の道を開いていく――それらの力はすべて、「信心」に含まれている。
ゆえに「信心」だけは強く、また強くあれ、と重ねて申し上げておきたい。

【結成四十周年記念青年部総会 平成三年七月十四日(全集七十七巻)】