2014年12月10日 投稿者:河内平野 投稿日:2014年12月10日(水)12時47分45秒 通報 かつて戸田先生は、「社会に信念の人を」と題して論じられた。 その冒頭に、「私は、いまの日本国をみて、なんとなく、ものたりなさを感じている」と。 「もはや戦後ではない」(この年の『経済白書』)といわれた時代である。 景気も順調であった。 社会のさまざまな分野で、ある程度、《組織》ができあがり、 一応のまとまりをみせていた。人心も、それなりに安定したように見えた。 だが先生は、その時代相に満足されなかった。 「なんとなく、ものたりない」「なんとなく底が浅い」との印象を率直に述べられた。 なぜか。 先生はそこに、「事なかれ主義」の風潮を厳しく見抜いておられたのである。 つまり「上から命令されたことを、ただ間違いなく、こなしていればよい」 「自分の持ち場に失策さえなければ十分だ」 「与えられたことだけを、責任を追及されない程度にやっておけばよい」 ――そんな《小利口さ》の蔓延を、鋭く指摘されたのである。 それはまた、近年の管理会社への、先見的な洞察でもあった。 そして、だからこそ、「社会に信念の人がほしい」と。 みずからの信念のままに生き、ちっぽけな《限界》や《枠》など打ち破って、 縦横に活躍する人がほしい――これが、戸田先生の心情であられた。 その「信念の人」をつくるには、どうするか。 先生は、よく「生命力を強める以外にない。 そのためには、信心しかない」と述べられている。 一人一人が、「生き生きとして、はちきれるような生命力」 「ぴんと、はじけるような生命力」をわき立たせていくことだ。 それには大聖人の仏法によるしかない、と。 この戸田先生の心のままに、学会は現実社会のなかに、 はつらつたる生命力を脈動させながら、「信念の人」を育て、送りだしてきた。 【結成四十周年記念青年部総会 平成三年七月十四日(全集七十七巻)】 Tweet