投稿者:河内平野  投稿日:2014年11月23日(日)09時48分28秒    通報
日本のメンバーのために、日本語の題名についていえば、ドイツにも留学していた森鴎外が、
『神曲』と訳し、アンデルセンの『即興詩人』を訳した中でも使って、一般に定着した。

この「神」は「神聖な」の意味であり、必ずしもキリスト教の「神」のみをさす言葉ではない。
『神曲』には、ギリシャ・ローマの古典、アラビア経由の自然科学等、当時のあらゆる知識が用いられている。
百科全書的な書物である。

キリスト教が基本になっているが、大事なことは、ダンテは自分の《体験》を語った。
その際、当時の思想や言葉を使うほかなかった――ということである。

詳論は省くが、ダンテも時代の子である。当時の思想の枠の中で語るのは当然である。
しかし、人間ダンテは、そうした時代・地域の枠を大きく打ち破っている。
ゆえに非キリスト教世界にも無数の読者を得た。
きょう、諸君に語りたいもの、このダンテという一個の「人間」である。

全体の三部構成も「苦悩から希望へ」であった。
興味深いことに、三部の各編の終わりの言葉も、すべて「星」(ステラ=スター)で結ばれている。
(一部の最後では地獄界から出て「星」を仰ぐ。二部の最後では「星の世界」へ昇る身となる。三部の最後ではわが一念が、「太陽」と「星々」を動かす力と一体になる)

「星」は「希望」の象徴である。
地獄は地底にあるため「星なき世界」と呼ばれる。
「希望」がないこと――それが「地獄」を「地獄」たらしめている本質なのである。

「地獄の門」には、こう刻まれている。「我(=門)を入る者は一切の希望を捨てよ」と。
ゆえに、人に「希望」を与えることは、その人の《苦悩の門》を閉ざす聖業である。
そして信仰こそ、永遠の《希望の源泉》なのである。

ダンテは地獄で、かつての教師に出会った。彼は、ダンテに言った。
「汝の星に従え!さすれば汝は栄光の港にたどり着こう」。
わが「使命の星」を見失うな!荒海の航海を乗り越え、「栄光」という港に着くために――と。

汝の「使命の星」「希望の星」に向かって、どこまでも、何があろうと進みぬいていく。
これが信仰である。

そして妙法こそ、従うべき、大宇宙の確たる軌道なのである。
この軌道を進むかぎり、「わが栄光の港」「民衆の栄光の港」へたどり着くことは間違いない。

ともあれ『神曲』は、ダンテが人生の暗黒の現実と戦い、絶望的な境遇にありながら、
「星に向かって」進み続けた魂の記録である。

今なお苦しみの中にある人を励ます《希望の劇》であり、《希望の讃歌》である。
私どもの弘法、激励等もまた、人の世で最も尊き《希望の劇》《希望の讃歌》をうたいあげていく行動なのである。

【イギリス青年部総会 平成三年六月二十九日(全集七十七巻)】