投稿者:河内平野  投稿日:2014年11月19日(水)10時18分10秒    通報
さて、現代世界でもっとも人気と評価の高い作家の一人に、ドイツのミヒャエル・エンデ氏がいる。

彼の童話は子ども以上に、大人が読んでいるといわれ、各国でベストセラー。
現代文明に「人間性」を取り戻すべく健筆をふるっている。

その代表作『モモ』は、小さな女の子モモが、「民衆の心まで管理する管理会社」の悪と戦う物語である。

少女モモの周りには、いつも人々が引き寄せられる。なぜだろうか。
彼女が「あいての話を聞く」名人だったからである。

それは「ほかには例のないすばらしい才能」であった。
彼女は、ただじっと座って注意深く聞いている。
大きな黒い目で、じっと見つめながら、真剣に耳をかたむける。

すると――。
話しているほうは、自分でも驚くような良い考えが浮かんでくる。
また、迷っていた人は、自分の気持ちがはっきりしてくる。
内気で、いつもしりごみしてしまう人は、勇気が出てくる。
悩みで心が真っ暗な人は、希望と明るさがわいてくる――。

たとえば自分のことを、「おれの人生は失敗で、なんの意味もない、おれはなん千万もの人間の中のケチな一人」だと思っている人が、モモに話を聞いてもらうとする。

熱心に彼女は耳をかたむけてくれる。
良いとも悪いとも、言うわけではない。
しかし、しゃべっているうちに、いつもまにか自分の間違いがわかってくる。

モモが心をかたむけて真剣に聞いてくれるうちに、自分が、世界中でたった一人しかいない、かけがえのない人間なんだと信じられるようになる。

これらは、まさに宗教本来の役割である。
人に勇気、希望、意志、指針を与え、かけがえのない使命に目覚めさせる。
それが、ただ「熱心に聞く」という行動だけで、成し遂げられているのである。

現代人が求めているものは何か――その答えの方向性が、この物語にはこめられていよう。

「聞くこと」
「ゆったりと対話すること」は、
仏教の本来の精神でもあり、教育の基本でもある。

釈尊は入滅の直前、門下にこう語った。
「何でも問いなさい。ブッダ(=仏)に関しても、法に関しても、組織(=サンガ<和合僧>)に関しても、実践に関しても。何でもたずねなさい」

皆が黙っているので、釈尊は三度繰り返した。納得できるまで聞きなさい――。

そして、さらに言った。
「あなた方は、師(=釈尊)を尊崇するあまり、(=遠慮して)問わないのかもしれない。
(=そうではなく)仲間が仲間にたずねるように、たずねなさい。遠慮することはないのだよ」。

そして人々に疑問がなく心からすっきりしているのを見届け、初めて安心して入滅した。
《仲間が仲間にたずねるように》――仏教の原点はこのように、穏やかな、わけへだてのない「対話」が基調となっていた。
その現代における実践が懇談であり、弘法なのである。

【第一回ベネルクス三国最高会議 平成三年六月十日(全集七十七巻)】