投稿者:河内平野  投稿日:2014年11月14日(金)09時07分38秒    通報
ともあれ、モリエールの『タルチュフ』は、宗教を《隠れミノ》にして、
善良な人々をだまし、私腹を肥やす「えせ宗教家」がのさばる風潮を笑いとばし、痛烈に風刺した。

そこで、「宗教を冒涜するものだ」と攻撃され、上演を禁じられたのである。

しかし、モリエールはいささかも動じなかった。むしろ毅然として反論した。

「タルチュフは彼等の口をかりれば敬神の念を侮辱する芝居だそうである。
それは、徹頭徹尾不信冒涜にみち、火刑に値しないものは何一つないという。
一言一句不敬ならざるはなく、仕草まで罪になるそうである。
眼を動かしても首を振っても、右か左に一歩足を踏み出しても、
そこには(神を冒涜する)秘密が隠されているそうで、彼等はそれに説明を加えて私を陥れようとするのである」(前掲)

彼は言いきっていた。
「偽物をやっつけても、本物は傷つくはずがない」。
私の劇に腹を立てる人は、《心当たり》のある「えせ宗教家」だけですよ――と。

メッキは本物を嫌う。
信念を曲げて生きている者は、信念を貫いた勇者を恐れ、煙たがる。
本物がいては、自分のウソがわかるからである。
さもしい本性が露見するからである。

ゆえに牢獄でも不退転だった戸田先生を、軍部の圧力に屈した一部の人間は憎んだ。

御書には
「まがれる木はすなをなる縄をにくみいつはれる者はただしき政りごとをば心にあはず思うなり」(御書一四三七頁)

――曲がった木は、縄で印をつけ木を切るので、まっすぐな縄を憎み、偽っている人間は、正しき治政を心に合わないと思う――と仰せである。

「この世の中に、日々人々が堕落させない何があろうか?」(前掲) ――。
モリエールは《人間世界》の厳しき現実を見すえて言う。
「医術」も、「哲学」も、そして「宗教」も、どんなものも《腐敗の危険がないものはない》と。

なぜか。
どんなに立派な目的をもったものであっても、必ず、それを私利私欲のために乱用し、悪用する徒輩がいるからである。

だからこそ、「偽物」にだまされてはならない。
「悪人」に翻弄されてはならない。
モリエールの舌鋒は、鋭く激しかった。

彼は、弾圧の風雨に、決して負けなかった。
『ドン・ジュアン』『人間ぎらい』『いやいやながら医者にされ』『守銭奴』などの傑作は、すべて迫害の渦中で生まれた。

生活は切迫したが、彼は迫害者たちを見おろしていた。
そして、先ほどふれたように、五年後には、晴れて『タルチュフ』を一般公開できたのである。

【海外派遣メンバー、各部代表者協議会 平成三年四月十二日(全集七十六巻)】