投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 3月24日(火)22時50分50秒     通報

・虹と創価家族様
三類の強敵と戦ってこそ指導者であり、創価学会の最高幹部といえましょうか。そうでなければ会員に対して、的確な信心の指導はできず、むしろ現場の会員のほうがよほど戦っているという状態だと、あまりにも情けない。人は恵まれた環境に長居すると、感性も鈍り、心がわからなくなる。職員の給与の話がでていますが、額がどうこうという問題が本質ではなく、あまりに民衆と乖離している実態に対する危惧でありましょう。

破邪の祈りに関しては、信仰者としてもっとも重要な祈りであると思います。破邪の祈りの先にあるものは何か。それは、自分の中の邪を発見すること。自身の、悪を見ないふり、容認する命がまざまざと炙り出される。仏と対極にある命であり、その根底は無明である。信心とはどこまでも自身と向き合うことであり、己心の邪を破ることが肝要であると考えます。現場での体験が少ないのも、「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」との御文にあるように、破邪がないからでしょう。現場で頻発する組織悪や、幹部の傲慢な振る舞い等は、見て見ぬふりをされて活動が推進されているようでは功徳は生じない。その根底には中心者の破邪の祈りのなさが要因ではないでしょうか。目の前の問題を放置し、向き合わないことが、悪を増長させ、功徳を奪う働きとなる。

教義変更の一連の流れは、「もっと破邪の祈りをせよ」との御仏智ととらえることもできます。悪を滅する透徹した祈りに功徳が湧現する。肝心要を外していくら活動をしても、思ったような功徳が生じないのは至極当然であり、逆に破邪の祈りを猛然と開始した時に、行き詰まりを打開することができる。悪を容認する自身と対峙し、打ち破る。爆発的な功徳を頂戴したい人は、破邪の祈りをお勧めします。