【賢者とは誰か】池田先生指導④
投稿者:河内平野 投稿日:2014年11月13日(木)09時17分52秒

「祇園精舎」といえば、『平家物語』の冒頭の一節でも有名である。
その祇園精舎で釈尊が説いた経に次のようにある。

「比丘(僧)たちよ、愚者の標識はその作業にある。智者の標識はその作業にある。知恵は行為において輝く」と。

「愚者」なのか「智者」なのか、それを示す標識は「行動」である、
その人の振る舞いを見ればわかるというのである。

「作業」「行為」とは「身口意の三業」のことである。
「身」と「言葉」と「心」と。

この三つについて、同じ経典には、こう説かれる。
「三つのことをなさば、まさに愚者と知るべし。三つのこととは何か。
身における悪行、語における悪行、意における悪行なり。
これらの三つのことを成就すれば、まさに愚者と知るべし」

身の「悪行」、言葉による「悪口」、心にいだく「悪意」。
これが愚者の振る舞いである。

どんなに知識があり、知恵者のように見えたとしても、その振る舞いが悪ければ「愚者」となる。
ここに仏法の「知恵」観の根幹がある。

また、これと対応するかたちで、次のように説かれる。
「三つのことをなさば、まさに智者と知るべし。
三つのこととは何か。身における妙行、語における妙行、意における妙行なり。
これら三つのことを成就すれば、まさに智者と知るべし」

すなわち、正しき法にのっとったすばらしき振る舞い、すばらしき言葉、すばらしき心が「智者」の証拠である、と

どんな人間が「愚者」であるか、「智者」であるか。
釈尊は、その区別を明確に示しているのである。

私どもは、つねに人々に、正法を教え、信心を語り、広布に進んできた。
世界の民衆に、勇気を与え、希望を送り、平和を広げてきた。

身口意の三業のすべてを、妙法流布へと向けてきた。
その「行動」にこそ、仏法の「知恵」が生き生きと輝いている。

「最高善」の広布前進に生きる人こそ、最高の智者日蓮大聖人に連なった「賢者」「智者」となる。

知恵ある者は永遠に栄える――。
私どもは、「賢者の集い」のスクラムも固く、「正法の万年の栄え」を実現してまいりたい。

【第四十回本部幹部会・第十七回全国婦人部幹部会 平成三年四月十日(全集七十六巻)】