【小説「九十三年」革命は死なり】池田先生指導⑤
投稿者:河内平野 投稿日:2014年11月12日(水)13時43分36秒

戸田先生はよく言われていた。「革命は死なり」と。
死をも恐れぬ者が何を恐れようか。

何ものも恐れぬ勇者を、いかなる暴力、奸計が屈服させられようか。
――生命を賭してまでも、わが信念を貫く。理想の旗を守る。
それが「人格」である。また「革命児」である。

『九十三年』のドラマのなかで、青年ゴーヴァンは、
みずから「人間愛の道」を選び、恐怖政治の犠牲となってギロチンにかけられる。

処刑の前夜、彼はこう語る。
「わたしが望むのは、精神に対しては自由を、心に対しては平等を、魂に対しては友愛を、ということです。
たくさんです! もう束縛はたくさんです! 人間が作られているのは、くさりを引きずるためではなくて、つばさを
ひろげるためなのです」と。

死の直前である。
ふつうであれば、恐怖に震え、口もきけない夜を送ったかもしれない。
それまでの生き方を悔やみ、だれかれかまわず救いの手を求めたかもしれない。

だが、彼は真の「人間」だった。
高潔なる「青年」であった。
最後の最後まで、信念の大いなる翼を広げた。
最後の一瞬まで、羽ばたこうとしていた。

私は祈る。わが青年部諸君もかくあれ、と祈る。
彼のこの叫びのように、君らもまた、みずからに恥じない《魂の言葉》を歴史に刻みゆく青春を、と――。

「もう束縛はたくさんです!」
――これが、十八世紀の「九十三年」(一七九三年)から、文豪ユゴーが聞き取った、民衆の悲劇であった。

その声は、今なお地上に満ちている。
だからこそ私どもは、「人間」の中へ、「社会」の中へ、そして「世界」へ、「平和」へと、大仏法の「人間主義」
の翼を、さらに大きく広げゆく。

そして、今世紀の「九十三年」(一九九三年)を、民衆の凱歌で、ともどもに飾ってまいりたい。
――このことを心から念願し、恩師の命日を記念するスピーチとさせていただく。

【第一回第二東京総会 平成三年四月二日(全集七十六巻)】