投稿者:地方の会員  投稿日:2014年11月 6日(木)16時57分1秒

 
原島の証言なので信用性がどこまであるか不明ですが、秋谷に対する見方は参考になるのではないでしょうか?出展はフォーラム21ですので、部分的に信用性が低いこともありますが、その前提でおよみください。
秋谷の反省もあるのですが、心の底から反省している感じはしませんね。自分は悪くないんだがというニアンスが感じ取られます。

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池田大作創価学会名誉会長の会長就任記念日である5月3日を前に、
年初来、池田氏が諸会合の席上、秋谷氏を激しく叱責・面罵、
※「週刊新潮」3月16日号によれば、池田大作氏は2月度本部幹部会や全国代表者協議会など
の席上、対立する日蓮正宗宗門や矢野絢也元公明党委員長などを“のさばらせているのは、
秋谷が悪いから”と、激しく秋谷氏を罵倒したとされる。

こうした一方で秋谷氏は、3月9日に行われた本部幹部会の席上、以下のように自らを卑下しつつ池田氏を最大限、礼賛した。
「戸田先生は『第3代会長を守れば、広宣流布は必ずできる』――こう厳命をされました。
創価学会の根本は師弟であります。私は、第3代の池田先生を、生涯、お守りし抜いてまいります。それ以外に私の使命はございません。先生の偉大さは、そばにいた私が、一番よく存じ上げております。私などは、先生と比べれば天地雲泥、桁違いです。池田先生の存在は、牧口先生、戸田先生にも増して大きいのです。一番、偉大な存在であられるのです。
先生がおられるお陰で、会長を務めさせていただいています。
戦うことができます。全部、先生に守っていただいています。このご高恩は、一生涯、永遠に忘れることはできません。偉大な師匠である池田先生の大恩に報いるために、さらに一生懸命、
戦ってまいりますので、よろしくお願いを申し上げます」(3月11日付「聖教新聞」)

同様に4月11日付「聖教新聞」掲載の「五月三日へ 私の決意」と題するコラムでは、
「『池田先生への報恩』に生きる」との見出しのもと、池田氏の会長辞任の責任は当時の
執行部にあるとして、次のように反省する姿勢を示している。

「『一閻浮提広宣流布』の日蓮大聖人の仏勅は、池田先生の御出現なくしては
虚妄に帰したはずである。仏法史上、どれほどの聖業か。それだけに、今もって本当に申しわけなく、悔しくてならないのは、あの昭和54年4月24日の第3代会長御勇退である。
嫉妬に狂った坊主どもの暴圧があった。それと結託した裏切り者どもの謀略があった。
だが、その虜と成り果て、魔に食い破られ、悔やんでも悔やみきれない事態を招いたのは、
すべて私ども執行部の罪である」

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原島さんは池田氏の側近として、池田氏と秋谷氏の関係を間近で見て来た

元創価学会の最高幹部の一人ですが、今回の池田氏の秋谷罵倒と、

秋谷氏の池田礼賛についてどのような印象をお持ちですか。

原島 秋谷さんに対する池田さんの積年の鬱憤が噴き出したと言えるのではないでしょうか。

僕が池田さんの側近だった当時も、池田さんは秋谷さんに対する不満を口にすることが

しばしばありました。

特に印象に残っているのは、池田さんが昭和54年4月に、日蓮正宗からの教義違背等の

責任をとって会長を辞任した際のことです。当時、教学部の主任部長だった桐村泰次さんから、

「池田先生が会長を辞めざるをえなくなった原因は秋谷さんにあるんじゃないか」と

有島重武さんが発言しているとの話があったのです。

その話を僕がそのまま池田さんに伝えたところ、池田さんは「有島は鋭い。いい男だ」と

有島さんを誉め、いかにも会長辞任の責任が秋谷さんにあるかのような態度を見せたんです。

しかし池田さんが会長を辞任するにいたった経過の中で、

決定的な役割を果たしたのは野崎勲さんでした。

側近中の側近だった野崎さんが「池田先生は辞めざるを得ない」と言ったことに

池田さんは大変なショックを受けたんです。

その意味でいえば野崎さんの方が責任は重いのですが、

池田さんは秋谷さんを悪者とした有島さんを誉めた。

この背景には、池田さんの秋谷さんに対する不信感ともいうべきものがあったからです