投稿者:正義の旗  投稿日:2014年11月 5日(水)12時42分49秒
昭和55年5月 関西指導
関西文化会館へ押しかけて大激励。しかし新聞にも載らず。碑の除幕式も北条会長を中心に勤行、Pの姿なし。Pはそのとき別館へ行かれていた。入場券のないメンバーも別館に集められていた。非常階段にいてる役員にも激励。皆の歓喜は狂気となってほとばしった。動きまくってそれぞれの場所で大激励を続けられた。
Pは不思議な行動に。まずはサブ会場(別館)に行かれた。入り口がいっぱいのため非常階段で上がっていくP。急いで追いかける幹部たち。結局除幕式には出ることは無かった。廊下で待っていた。どんな思いだったのか。
除幕式には出ずに外で立って待っていた。終了後に中に入っていった。
第一線で戦っているのは券のあたらなかったメンバーたち。広宣流布をしているのはこの人たちなんだ。真の弟子は最前線にいるんだ。
聖教記者に「このままでは会員がかわいそうだ。人間革命の連載を再開する」
聖教記者は「大丈夫でしょうか」と。
「厳しいのはわかっている。しかし誰が出来るんだ!私一人が責任をとればいいんだろう」と執筆を開始される。
平成元年10月 Pからお歌が届く「忘れまじ 君らの真心 三世まで」7勇士に
Pは滋賀研修道場へ 執行部を呼び厳しく指導される。
これがはじめての東京への鉄槌、執行部への鉄槌になる。
平成3年 第二次宗門問題
総講頭罷免。また同じ手をつけてきた。追いやるときがきた!このときは東京の執行部も立った。戦った。知っている通り裏切り者は死んでいった。
10年前1999年。第二の総括が始まった。随筆に書かれる。
この20年間、謀略、非難中傷がさまざまあった。
命をかけて学会を護ってきた、奥様は一日もかかさず丑寅勤行を続けてこられた。
学会は一度つぶれた。宗門に屈した。奴隷となった。