投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月31日(金)10時05分7秒
するとバラは、軽くいなしながら答える。
「むずかしいことは、よくわかりませんわ。ただ私は、楽しく、思う存分生きてきましたの。
お日さまは優しく、暖かいし、空気はおいしいし、雨だって喜びでしたわ。
私たちは幸せなんです。広い緑の野原を見ながら、ただうれしくて咲いているんです!
大きく息を吸い込むと、土のなかから力がのぼってきます。
空からも力がおりてきます。幸福で、うれしくて、私たちは歌っているんです!」

威張ってばかりいるカタツムリは、そんなバラたちがうらやましくてたまらない。
いやみを言うのも、バラたちへの《ねたみ》でもあったようだ。

しかし、バラたちは、朗らかに、優しく聞いた。
「でも、あなたは、そんなに偉いのだから、きっと私たちよりも、ずっと幸せなんでしょう?」
「そんなに偉いあなたは、何を世の中に与えたのですか?」
「皆のために何をなさったの?」バラたちの質問攻めに、カタツムリは、ただ口ぐせを繰り返す。

「世の中なんて、関係ないよ! 俺は俺で何でもできるんだ」、こう言ってカタツムリは、また自分のカラに閉じこもり、入り口を塗りこめてしまった。

バラたちは、その姿を見おろしながら、哀れんで言った。
「悲しいわ! 私たちはカラの中に閉じこもるなんてできない。
いつも外に出て、花を咲かせていたい! そして、世の中のだれかのためになりたい! それが幸福なのよ!」。

こうしてバラは幸せに咲き続け、カタツムリは《家》の中で、世の中の悪口を言いながら、つばをはき続けていた。
――アンデルセンの童話は、これで終っている。

アンデルセンは、静かに「どっちの生き方がいいと思いますか」と問いかけているようだ。
世間を軽蔑しているつもりで、軽蔑されているカタツムリ。
自分の不幸を、不平、不満に変えて、人にぶつけては、ますます不幸になっていくカタツムリ。

それよりは、広々とした野原で太陽とともに咲き誇り、人々を幸せにしようと健気に願っているバラたちのほうが、どんなにか美しくて、幸福ではないでしょうか――と。

《威張りんぼ》のカタツムリや、人の幸福をうらやむカタツムリは、どこの世界にもいる。
そんな哀れな人たちの言葉など気にすることはない。
悠々と見おろしていけばよい。

そして、顔を「太陽」の希望の光に向けて、堂々と生きていけばよいのである。
私どもは、「法」のため、「人」のため、「社会」のために、広布に生きぬいている。
その行動のなかで、福徳の花が爛漫と咲き薫る幸福の園を開いているのである。
これほど尊く、充実した、誉れの人生はない。
【沖縄・世界平和祈念勤行会 平成三年二月三日(全集七十六巻)】