2014年10月31日 投稿者:河内平野 投稿日:2014年10月31日(金)10時04分23秒 アルゼンチン(デンマークの作家、一八〇五年―七五年)の童話に、「カタツムリとバラの木」という話がある。 だいたい、こんな話であったと記憶する。 ――あるところに、美しいバラの庭があった。 庭の周りには、これもまた美しい緑の牧場が広がっていた。 白い雲を浮かべた青空のもと、牛や羊が楽しげに遊んでいた。 バラたちは歓喜にあふれて太陽に顔を向けていた。 ところが、バラの茂みの下に一匹のカタツムリがいた。 背中に大きな《家》を持っている彼は、口ぐせのように言っていた。 「世の中なんか、俺にはどうでもいいんだ! 俺は俺だけで何でも持っている!」と。 彼はこの大事な《家》にいつも閉じこもり、ときどき顔を出しては威張ってばかりいた。 じめじめした地面をはいながら、バラたちを見上げて言った。 「いつ見ても進歩がないね! 花を咲かせているだけじゃないか! 毎年、同じことの繰り返しだ。 俺は、バラの花を咲かせたり、牛や羊のように乳を出したり、そんなつまらないことよりも、もっと大きいことをやってみせる!」。 バラたちをバカにし、《俺さまは、お前たちとは違うんだ》と言わんばかりの偉ぶった姿であった。 しかし露骨にバカにされても、花たちは怒るふうもなかった。 「大いに期待していますわ。ところで失礼ですが、それはいつごろでしょうか?」と、にこやかに逆襲した。 カタツムリが口では大きなことを言っても、実際には、何を、いつやるのでしょうか、と。 カタツムリは「自分の《遠大な計画》は、愚かなバラたちにはわからない」と、捨てぜりふを残して、ご自慢の、立派な《家》に閉じこもってしまった。 「♪角だせ槍だせ めだま出せ・・・・」という歌があるが、ふだん大きなことを言う人間ほど臆病で、都合が悪くなると、急に《無口》になり、閉じこもってしまうものである。 ふたたび花の季節がやってきた。 バラたちは、青空に頭を上げ、さわやかな光と風を思う存分、楽しんでいる。 すると、また例のカタツムリがやってきた。 そして下のほうから陰気な声で語りかける。 「バラのおばさんたちよ、だいぶ年をとったね! 世の中のために、花なんか咲かせて、そんなに一生懸命――何かいいことがあったのかね?」 口を開けば、いやみなことしか言わない、こんなカタツムリに似た人はいるものだ。 【沖縄・世界平和祈念勤行会 平成三年二月三日(全集七十六巻)】 Tweet