投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2014年10月15日(水)23時32分17秒
破邪顕正

戸田先生は恩知らずに対しては、それはそれは厳しかった。こう指導しておられた。
「ひたすら現在の世相を見るに、人の道たる知恩・報恩の者が、ごく稀(まれ)である。ここに、社会の乱れが生ずるのである」
「恩を報ぜぬということは人間の特権を放棄し、禽獣(きんじゅう)に同ずることである」
そして先生は、学会の大恩を踏みにじり、和合僧に弓を引く人間とは、徹底して戦えと厳命されたのである。
これまでも、学会のおかげで社会的な地位を得ながら、傲慢になり、ついには反逆していった人間がいた。

ゲーテは述べている。
「愚昧な、狭量の連中こそ、だれよりも威張りたがる」(生野幸吉訳「西東詩集」、『ゲーテ全集2』所収、潮出版社)

愚かな人間に限って、すぐに威張り散らし、人を見くだすものだ。こうした人間を絶対に許してはならない。
イタリア・ルネサンスの大詩人アリオストは叙事詩で綴った。
「ああ、哀れなるかな、邪悪な輩に長きに渡り、唆(そそのか)されて、苦しみに引きずり込まれる者たちよ」(脇功訳『狂えるオルランド』(上)、名古屋大学出版会)
悪は放置すれば増長する。皆、だまされてしまう。悪人と戦わなければ、学会が破戒されてしまうのだ。
「破邪顕正」といっても、あくまで「破邪」が先である。まず悪と戦い、悪を打ち破るのだ。
それでこそ、「顕正」がある。悪を倒してこそ、初めて正義を明らかにし、宣揚することができるのである。
「破邪」が根本であり、その次が「顕正」だ。この方程式を、深く胸に刻んでいただきたい。
戸田先生は、こうも言われていた。
「忘恩反逆の提婆達多は、一切の悪人を集めても、釈尊の仏法には敵(かな)わないという証拠を残して、仏罰を受けて死んだ」
日蓮大聖人の正統である創価学会に仇をなした提婆のごとき輩が、哀れな末路をたどっていることは、皆さまがご存じの通りだ。

【埼玉池田研修道場でのスピーチ 2007-05-08】