投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月15日(水)11時00分46秒
今世紀半ば(一九五〇年―六〇年代)、
アメリカの黒人によって、「人種差別の撤廃」「公民権獲得」を求める大運動が巻き起こった。

その《勝利の扉》を開いた第一歩の戦いとなったのが、人種差別を強制する公営バスのボイコット運動であった。
もちろん、ここにいたるまで、長年の《平和への努力》が積み重ねられていたことはいうまでもない。

このバスの座席は、《白人用》と《黒人用》とに分かれていた。
人種隔離である。

しかも、《黒人用》は後部のごくわずかな座席があるだけで、仮に《白人用》が空いていても、黒人は立っていなければならなかった。
また《白人用》が満席になると、黒人は席を譲らねばならなかった。

「同じ人間ではないか! なぜ差別するのだ。もう我慢できない!」――ある事件をきっかけに、ついに黒人たちは立ち上がった。
《人種差別を強要するバスは絶対拒否!》。

一九五五年(昭和三十年)、歴史的なバス・ボイコット運動の始まりであった。
事件は、当時、全米でも《人種差別の壁》が厚かったアラバマ州の町で起こった。
一人の黒人女性(ローザ・パークス女史)が、乗車したバスの中で、白人に席を譲らなかったとして、警察に逮捕されたのである。
それまで忍耐してきた黒人市民は激怒し、抗議運動が開始された。

しかも《非暴力》で――。
この運動の指導者が若きマーチン・ルーサー・キング氏である。

「バスなんか、乗らなくてもいい! どうして差別される必要があろうか。われわれは、歩く!」。

それまでバスを利用していた二万人もの黒人たちが皆、歩くようになった。
なかには、家から職場まで二十キロも離れている人もいた。
しかし、だれもが辛抱強く、また誇り高く歩いた。

ラッシュアワーには、徒歩の黒人たちで道路がいっぱいになった。
また彼らは、客がいなくて空っぽのバスを見つけると、歓声をあげて笑いとばした(実際、バス会社は悲鳴をあげていた)。

そして陽気に歌を歌いながら、「《自由への道》《平等への道》はわれわれの道だ!」と闊歩したのである。

【創立記念勤行会、第四回東京総会 平成三年十一月十七日(全集七十九巻)】