投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月14日(火)21時28分45秒
日蓮大聖人は、伊豆へ、さらに佐渡への御流罪の身となられた。
何ひとつ罪を犯していないにもかかわらず、邪宗の僧等の讒言のゆえに――。

そして、《必ず倒れるにちがいない》との世間の予測を覆し、二度、流罪の地から生還なされた。

仏様を殺すことはできない――その偉大なる実証としての凱旋であられた。(五逆罪の中にも、「仏身より血を出す」「殺母」「殺父」等はあるが、「殺仏」はない。不可能犯だからである)。

佐渡への御流罪について、大聖人は次のように仰せである。
「日蓮はながされずして・かまくらにだにも・ありしかば・有りし・いくさに一定打ち殺されなん」(御書一一六四頁)

――もし日蓮が流罪されないで、鎌倉にでもいたならば、あの戦乱(文永九年二月の北条一族の内乱《二月騒動》)に巻き込まれて、きっと打ち殺されていたにちがいない――と。

御自身が流罪の大難にあわれたことには、深い意味があることを示されている。
より以上の難を避けられたのだと――。

そして、仏法上の難には、すべて甚深の意味があることを確信しきっていくよう、お教えくださっている。

また大聖人は、「よからんは不思議わるからんは一定とをもへ」(一一九〇頁)

――善い結果になるのは不思議であり、悪い結果になるのは当然と考えていきなさい――と仰せである。

この御文は、熱原の法難について、決して状況を甘く見ず、最悪の事態に備えるべきであると教えられた一節である。
広い意味では、仏法を持つ人には、必ず大難があることを覚悟すべきであるとの教えと拝される。

私どもは、こうした御聖訓を深く拝してまいりたい。
どうか、三世永遠の生命観のうえから、われらは「仏法の真髄」「信心の真髄」の道を歩む!
その大道を、今、御本仏が示し、導いてくださっている! ――との確信に燃えて、堂々たる前進をお願いしたい。

【創立記念勤行会、第四回東京総会 平成三年十一月十七日(全集七十九巻)】