投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月 8日(水)18時41分3秒    通報
行智は、日蓮大聖人の門下となった下野房ら四人を呼びつけて、信仰の弾圧に乗りだした。

行智はこう命じた。
「法華経に於ては不信用の法なり速に法華経の読誦を停止し一向に阿弥陀経を読み念仏を申す可きの由の起請文を書けば安堵す可きの旨下知せしむ」(御書八五二頁)

――法華経は不信用の法であるから、すぐに法華経を読誦することをやめて、阿弥陀経のみを読み、念仏を唱えることを誓う起請文を書けば、許してやる(さもないと追放する)と命じた――と。

「道理」でかなわず「権力」を使う理不尽な行智の言葉に、下野房はこう反論した、と日亨上人は述べられている。

「其は院主代の仰せとも心得ぬ当寺は天台宗で叡山の末寺である
其根本大師の御精神に従って法華読誦を為るのが何で悪るい、
日蓮聖人の御主義に移ると思ふから僻みが出るであらう、
伝教大師の源に還ると思うて御身等(あなたたち)とても吾等と共に法華読誦を始められよ、
彌陀念仏は当山では幾代前から始まった事か極近代では御座らぬか
早々邪見を飜へして吾等の正義に従いめされ此が却って釈迦仏の御本意で御座る」(熱原法難史)。

まったくの道理である。
正論である。
しかし悲しいかな、仏法に無知な行智は、なに一つ反論できない。
そればかりか、ただ、やりこめられたという悔しさから怒り狂って、
「イヤ此處は論場(法論の場)でなければ法論無益である吾等院主職の下知(命令)に従はぬとなら早々此寺を立退きをれ」(同前)と叫んだ。

議論、道理で勝てないとみるや、「従わねば、出ていけ!」と。
これが《権力化した宗教》のやり方である。

【関西最高協議会 平成三年十月十七日(全集七十九巻)】