投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月 8日(水)18時36分46秒    通報
きょうは十月十七日。
弘安二年(一二七九年)十月十五日に「熱原の三烈士」が殉教し、その報が大聖人にもたらされたのが十七日である。

大聖人の出世の本懐であられる「一閻浮提総与の大御本尊」を建立される機縁となった、この法難について、少々、語っておきたい。

熱原法難は、無名の民衆が、強大な権威・権力による弾圧に対して、身命を惜しまずに戦った、誉れの《先駆の歴史》である。
また、今、法難の経過をふり返った時、そこから数々の教訓を汲み取ることができる。
なお、熱原法難の史実を初めて詳らかにされたのは、日亨上人である。

上人の『熱原法難史』、私が願主となって発刊された『富士日興上人詳伝』など、そのご研究の成果を基本としてお話ししたい。

【関西最高協議会 平成三年十月十七日(全集七十九巻)】