道理と常識。①
投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月 1日(水)09時15分20秒    通報
ここで、アメリカで青年時代、ジャーナリストなどをして文筆に活躍し、やがて日本に永住した人物がいる。
ラフカディオ・ハーン(一八五〇年―一九〇四年)。日本名・小泉八雲である。

先日、私は日本の島根県を訪れたが、彼は島根の松江、また熊本、神戸、東京で暮らした。
日本と北米、東洋と西洋の文化交流の先駆的な業績をなした一人であろう。
八雲が書きとめた日本の民話に「常識」という話がある。

《物怪》(化け物)にだまされていた僧を庶民の「常識」が救う物語である。
――昔、関西のある山の中、一人の博識の僧侶が住んでいた。
俗世間とのつき合いは、ほとんどない。供養に訪れた猟師に僧侶は言った。
「このごろ、毎夜、普賢菩薩がこの寺にお見えになるのじゃ。不思議なことじゃが、これも長年の修行の功徳と思う。今夜は泊まっていくがよい。普賢菩薩さまにお会いできるから」

猟師は喜んで寺に泊まった。
しかし、考えれば考えるほど、そんなことがあるだろうかと疑わしかった。
聞いてみると、寺の小僧も何度も見たことがあるという。
猟師は、ますます「おかしい」と思い始めた。
その日の真夜中、待っていると、東のほうに星のような白い光が現れ、ずんずん大きくなった。
やがて光はかたちをとり、経文のとおり、六本の牙のある雪のように白い象に乗って《普賢菩薩》が現れた。
僧侶と小僧は、ひれ伏して懸命に拝んでいる。

すると猟師は、いきなり手に弓を取って立ち上がり、菩薩めがけて矢を放った。
たちまち激しい雷のような音とともに、白い光は消えた。
僧侶は絶望し、涙を流しながら怒った。

「この恥知らずめ!何という罰当たりな!」

猟師は静かに言った。
「和尚さま、落ち着いてください。はっきり申し上げますが、あれは普賢菩薩ではなく、あなたをだまし、ことによると、あなたを殺そうとしている化け物ですよ。朝になればわかることでしょう」

夜明けとともに調べてみると、点々と血の跡がついていた。たどってみると、矢を突き立てた大きな狸の死骸があった。
これが化けていたのである。
猟師は、どうして狸のしわざとわかったのだろうか。
それは――もしも本物の普賢菩薩ならば、だれよりも法華経を修行している人の所にこそ現れるはずだ。
しかし、ろくに修行もしていないお寺の小僧や猟師の自分にまで、はっきりと見える。

これはおかしい!仏法は「修行」に応じて「功徳」があるはずだ。
修行に関係なく結果が現れるとしたら、それは仏法ではなく、魔法ではないか。
「因果」を無視する物怪のしわざだ――猟師はこう見破った。

【カナダ・アメリカ最高代表者会議 平成三年九月三十日(大作全集七十八巻)】