2014年9月11日 投稿者:池袋b 投稿日:2014年 9月11日(木)18時47分41秒 通報 公称800万世帯の会員を沸する巨大宗教団体「創価学会」にとって、元公明党委員長で政治評論家の矢野絢也氏(79)は、決して許すことのできない〝仏敵〟だった。とろが、7年近くにわたって激しい攻防を繰り広げてきた両者が、実はひっそりと「和解」していた。その隠された舞台裏とは――。 創価学会の機関紙「聖教新聞」2月21日付の紙面の片隅に、小さなベタ記事が載った。見出しは「矢野氏との裁判終了」だ。 この記事によれば、矢野絢也(じゅんや)氏と創価学会や学会幹部らの間で争われてきた訴訟について、〈裁判長より、矢野氏と創価学会が争いを継続することは、両者の関係、その社会的立場から見て好ましいことでばない、と勧告があり、これを関係当事者は受け容れ、2月10日、裁判は終了した〉 と記述されている。あっさりとした「締めくくり」を装ってはいるが、両者間で繰り広げられた「闘争」を知る人にとっては、これが〝歴史的な手打ち〟であることは論をまたない。 京大在学中に学会へ入会した矢野氏は、大林組から大阪府議を経て34歳で衆議院議員に初当選した。20年にわたって党書記長を務め、党委員長や常任顧問も歴任。1993年に政界引退し、政泊評論家に転身した。学会との対立は、矢野氏が月刊誌に寄せた手記に端を発する。〈学会と公明党は政教一致といわれても仕方がない部分があった〉との言及に学会側が敏感に反応。2005年春以降、幹部らが矢野氏に謝罪や撤回を迫り、自宅を訪れた元国会議員らが矢野氏の備忘録であった手帳を差し出させるに至った。 その経緯を矢野氏が週刊現代や週刊新潮で暴露し、元国会議員らが名誉毀損に当たるとして提訴。矢野氏もまた手帳返還などを求めて応訴した。学会や学会幹部らも矢野氏と提訴し合い、両者の闘いは泥沼の訴訟合戦へと発展していった。 マスコミ関係者がこう振り返る。 「矢野さんは一時、尾行や威圧行為でトーンダウンしたが、弁護団が結成され、学会の内幕を描いた〝暴露本〟が売れるうちに勢いがつき、聖教新聞の〝口撃〟でさらに対抗心が燃えてしまったようです」 「あ、あ、うぅ」と電話ガチャ切り 確かに、学会幹部らによる罵りようは凄まじかった。聖教新聞での座談会では、名前は明示されないものの、〈豪邸を建てて、家族で引きこもったまんまの畜生!〉(05年3月30日付〉 皆が「卑しいやつ」「ゲス野郎、ゲス野郎」と後ろ指をさしてゲラゲラ笑っている〉(05年11月14日付)〈哀れなやつだ。かわいそうに、一生涯、家族や子孫までもが笑いものだ〉(同前) といった激烈な言葉が飛び交った。学会にとって矢野氏は「仏敵」だったのだ。 対する矢野氏は学会との〝闘争史〟を手記として講談社から出版した。これがまた新たな訴訟を生んだ。これほどまでに激しくケンカしてきた両者が、なぜ和解に至ったのか。 その起爆剤は、矢野氏が昨年10月に出版した『乱脈経理 創価学会VS国税庁の暗闘ドキュメント』だった、との見方がある。 この本では、学会が国税庁の税務調査をどうしのいだかが描かれているが、矢野氏のあとがきには、こう記されていた。 この暴挙に私の忍耐も限度を超えた。(略)私は学会・公明党の裏面史とも言える手帖を順次公開し、学会・公明党の実態を世に問うことにした。その第一弾が本書である〉 つまり、第2弾の〝暴露本〟を続けて出版する計画があると宣告したわけだ。学会関係者が振り返る。 「第2弾がどれだけ書き進められていたかわからないが、学会と暴力団との関係をテーマに、構成も決まっていたと聞いていた。学会の歴史を考えれば、元後藤組組長との関係が中心だったのではないか」 08年秋に解散した山口組の2次団体・後藤組を率いた元組長の後藤忠政氏は、10年5月に自叙伝『憚りながら』を出版している。「創価学会との攻防」と題した章の中には、後藤組が学会のトラブル処理などを引き受けてきたなどと記されている。 こうしたかかわりについて矢野氏の視点から描くと実にセンセーショナルだが、この本を読むことはできそうにない。 出版関係者によると、今回の和解条件として、矢野氏の慨刊本を増刷しないことと、矢野氏が学会の名誉を毀損する新刊本を出さないことが盛り込まれたという。その結果、『乱脈経理』で予告された第2弾は〝お蔵入り〟となったようだ。 学会としては、〝暴露本〟の乱発を防ぐという実を得た格好だが、電撃的な和解の背景には、学会の人事をめぐる「意図」を感じる、との指摘もある。 長年の学会ウオッチャーがこう解説する。 「和解と聞いて思ったのは、もう池田大作名誉会長の意思が会の決定に反映されなくなったのではないか、ということ。池田さんは学会の最高権力者だが、84歳で重病説がたびたび流れている。学会にとっての最大の課題は、ポスト池田時代を誰がどう担うかです。その有力候補は、実質ナンバー3の谷川佳樹事務総長(55)。ナンバー2の正木正明理事長(57)を飛び越えて若返りを進め、新しい指導者による長期政権を樹立する構想があるようなのです」 谷川氏は東京大学経済学部を卒業し、三菱商事勤務を経て、82年に学会本部職員となった。全国男子部長や全国青年部長を歴任し、07年10月から事務全鉢の総責任者である事務総長の任に就いている。 「谷川さんは05年当時は青年部の幹部として矢野氏に謝罪等を迫った一人で、裁判の原告や被告にも含まれていた。谷川さんを推すグループにとっては、矢野氏との訴訟は目の上のたんこぶで、『くだらないケンカを続けている場合じゃない』との想いもある。訴訟が終結したことで、体制移行の準備が万事整った、と言えるでしょう」(同前) 真相を聞こうと、矢野氏の事務所に電話すると、 「はい、どうも~」 と、矢野氏らしき男性が出たが、こちらが週刊朝日の記者だと名乗った瞬間、 「あ、あ、うぅ」 と稔って電話をガチャッと切った。再度、電話すると、妻らしき女性が、 「取材はすべてお断りしています。そういうことで」 と言って電話を切った。 他方、創価学会広報室は、和解の経緯については、 〈聖教新聞で報道の通り〉 とコメント。次期会長擁立に向けた動きは、 〈ございません〉 と否定し、池田名誉会長が最後に公の場に姿を現したのは〈一昨年5月の本部幹部会〉だとしながらも、近況をこう説明する。 〈最近も大変にお元気で、さまざまな連載の執筆や各地の会員を激励されています〉 「仏敵」との手打ちという異例の決断を下した創価学会は、これからどこへ向かうのか。 本誌・藤田知也 「週刊朝日」2012年3月9日号 Tweet