2014年10月17日 投稿者:イササカ先生 投稿日:2014年10月17日(金)15時17分22秒 歴史は繰り返す ! 第一次宗門問題の時代、創価学会の顧問弁護士という地位を利用して稼いだ悪銭で、 会社を設立し、わが世の春を謳歌していた山崎正友がいました。 しかし山友は、大名経営をしたあげく、事業が破綻し、 気がつけば四十五億円もの負債を抱え、暴力団関係者に追われる身となったのです。 その莫大な借金を作った際、H条会長らに肩代わりさせ、さらに学会首脳にカネを要求したことから、 学会はついに、一九八〇(昭和五十五)年六月五日、山崎を警視庁に告訴します。 警視庁は、半年におよぶ内偵の末、翌年の一月に山崎を恐喝罪で逮捕しました。 四月二十四日、奇しくも三代会長・辞任の日に、山崎は弁護士資格を返上。 その後、山崎は裁判で悪あがきを見せますが、七十五回の厳正な審理を経て、 東京地裁は懲役三年の有罪判決を下します。 山崎は最高裁まで戦いましたが、一九九一(平成三)年、 最高裁は一審・二審どおり山崎の恐喝を認め、三年の懲役刑が確定しました。 そして栃木県の黒羽刑務所に収監されたのです。 山友がまだ学会の顧問弁護士時代、 山友のもとで共に働いていたのがH社(葬儀屋)のK林氏だったのです。 この人物(K林氏)を、もう少し掘り下げて、ウォッチしてみたいと思います。 Tweet