投稿者:ジョーカー 投稿日:2018年11月22日(木)22時26分20秒   通報
池田大作全集70巻 P68より

「人の心は変わる。自分の心もあてにはならない。どんなに古くからの幹部であっても、信心を失ったとたん、堕落の道は始まっている。
そうならないためには、厳しく直言してくれる人をもつことである。いな、そういう人をみずから求めていくことである。
いくら形は信心しているようであっても、自分の力で偉くなったと錯覚し、慢心からわがままになり、耳に痛いこともあえて言ってくれる人から離れてしまう。それでは成長はない。どうしても正しき信心の軌道から外れしまう。これまでの退転者・反逆者も、皆そうであった。」

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忠言をどのようにとらえるか。それが、自身の慢心度を測る尺度となる。まったく聞かないのは論外である。さらに、『敵』として扱うようになったら終わりである。

子路様
組織は広宣流布の手段であり、目的ではありません。ですので、創価学会という組織にのみとらわれると、かえって広宣流布の道は狭まります。そもそも仏法は、宇宙大の壮大なスケールです。創価学会が盤石=広宣流布が盤石という方程式は、成り立ちません。

では、広宣流布が盤石とは何か。広宣流布といっても、人によってのみ弘まっていきます。そこから導かれることは、「本物の人材」が出現することが、安心・盤石につながります。池田先生に、「いよいよ本物が出てきたな」と思わせることができるかどうか。ここにかかっています。