投稿者:ジョーカー 投稿日:2018年 9月25日(火)00時09分32秒   通報
>直接何度も大聖人にお会いし、お手紙も頂いていた四条金吾や池上兄弟が
何故、五老僧の間違いに気がつかず、従って行ったのか?<

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質問ありがとうございます。私もこのことについては、何度か考えたことがあります。大聖人亡き後、有力な門下が独自路線に走ってしまった経緯については、あらゆる観点からみなければ、全貌が明らかにはならないと思います。その上で、私見を述べるならば、「日興上人のすごさがわからなかった」ことが、ズレを生じさせた原因ではないかと考えます。

四条金吾の例でいえば、日興上人は金吾よりも、15歳以上若年であるという事実があります。当然、日興上人は六老僧の一人で、尊敬すべき存在であったことは間違いないでしょう。ただ、絶対の師匠である大聖人の後を継ぐ存在であることがわからなかったのではないか。ましてや金吾は、大聖人に近い存在であり、「一番弟子」という自負もあったのかもしれません。それが仇となり、中心とすべき人物を見誤ったのかもしれません。

晩年、金吾は出家している経緯から推察するに、信仰心も篤く、広宣流布への想いも強かったと思います。自分がやらなければという使命感もあったことでしょう。しかし、大聖人から様々な指導や手紙をいただき、法門を理解したと思い込んでいたのかもしれません。御本仏のことや御本尊のことを本当に理解しているのは日興上人一人しかいないことがわかっていなかったのではないか。

そもそも五老僧に関しても、日興上人に破折されたにも関わらず、誰も従わなかった。一言でいうならば、「日興上人はなめられていた」。若さゆえに甘く見られてしまったのではないか。大聖人に近ければ近い程、わからなくなってしまうこともある。五老僧然り、有力門下然り。一部の戸田門下生が、若い池田先生を師匠と思えなかった感覚に似ているのかもしれません。

どんな世界も、つくべき人を間違えると、とんでもないことになります。つまらない自負心が、人物を見誤り、眼を曇らせる。力があればあるほど、理解したと思い込んでしまう。その結果、日興上人を「師匠としてみれなかった」ことが、独自路線へと突き進ませてしまった要因ではないか。

日興上人を師匠と定め従っていれば、五老僧の誤りを見極め、正しい判断ができたように思います。結局は、大聖人に近い存在でありながら、大聖人の心がわからなかった。師の心はわかるようでわからない。わかったつもりほど恐ろしいことはない。わかるのだけどわからないという謙虚さがなければ、独善に陥る。

翻って、いまの創価学会をみるに、すでに師なき時代へと移行し、組織主義が蔓延し、人間主義が有名無実化している。これは、真の創価学会ではありません。師の心を見失えば、即座に滅び去る。このことを子路様が紹介されている、「私が死んだら、創価学会はなくなってしまう」という言葉につながります。しかし、妙とは蘇生の義です。創価三代の指導を大切にし、人間主義を壊す者と戦う弟子がいれば、創価学会は蘇ります。それが日興上人に連なる道ではないでしょうか。