投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2018年 2月24日(土)17時39分30秒   通報 編集済
仏教の経典には、実に様々な手法で「不変の真理」や「法門」が説かれています。

時には高尚な詩的表現を用い、また寓話を通して、

どうすれば最高の人生を送れるのか、
どう生きることが人間にとって無上道の道なのか、
我が生命をいかにして変革していくか、

という哲理を力強く訴えています。

日蓮大聖人も数多くの寓話を用いて「不変の真理」を弟子に教えました。

その中で「求道の精神」を教えたものとして、特に雪山童子の修行は有名ですが、

どういうわけか

〝求道と死身弘法だけが強調されすぎて〟

何か大事なものを見落としているような気がします。

日蓮大聖人や池田先生は、雪山童子の寓話を
どのように捉えていたのか――。

また、求道心と死身弘法の大切さを通して、私たち弟子に
〝何を伝えようとされたのか〟を皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
教材は経典(涅槃経)の「雪山童子の寓話」ではなく、御書に描かれている

〝大聖人が語る雪山童子の寓話(松野殿御返事一三八三頁~一三八六頁)〟を用いて

考えていきたいと思います。なぜそうするのかというと、問題の視点を外さないためです。

日蓮仏法は文上仏法ではなく、文底仏法です。
私たちは未来永劫、御書根本で進むべきであると思います。

もちろん、大聖人が涅槃経(雪山童子の寓話)を読まれたことは当然として、
大聖人がその寓話をどう読み切られたかを度外視して、

この問題を考察しても所詮、我見です。

文底仏法を我が命の根底に置くならば、大聖人の解釈から入っていくほうが、
価値的であるし、本質がより明らかになっていくと思う。