投稿者:まなこ 投稿日:2017年 8月23日(水)08時38分11秒   通報
【池田】 困難な時代にあっては、民衆はたしかに指導者のリードに従いやすいものです。したがって、そうした困難な時代にリーダーシップを握ったことは、いまあげられた人々にとって幸運であったといえるでしょう。しかし、それは彼らがその能力を存分に発揮しうる機会に恵まれていたということであって、もしそれだけの能力がない指導者だったら、事態をますます悪化させていたことはいうまでもありません。
それはともかく、私は民主主義体制にあって指導者に委託される権限には、必ず期限がなければならないと考えます。その期限を終えれば、その間の功罪について民衆の審判が下されます。そして、それによって再任されるか、退陣して他の人と交代するかどうかが決定されるわけです。このように、在任中の権限はいかに大きくとも、それはあくまでも民衆から委託されたものであり、その成果については民衆の裁きのもとにあるというのが、独裁制と異なる、民主主義体制における指導者の特質であると思います。
このことはまた、指導者自身にしてみれば、在任中の言動が常に民衆の監視のもとにあることを意識せざるをえないということであり、そこに、次期の再選を望む指導者が、どうしても民衆に迎合する政策をとりやすい、という欠陥も生じてきます。

【トインビー】 民主的な指導者は、望ましからざる二つの道の中間をうまくぬっていかなければならず、しかもその中間で彼が巧みに行動する余地というのはきわめて狭小です。一方の道をとれば、彼は、選挙民の要望が間違っていると判断したときでも、なお彼らの願いに迎合したいという気持ちになることでしょう。この誘惑に負けると、彼は指導者という自分の役割を実質的に放棄することになり、自分に寄せられた信頼を裏切ることになります。これと反対の、もう一つの望ましくない道とは、自分では正しいと判断しながらも、あからさまに提示すれば拒否されるような政策について、選挙民を欺いて賛成投票をさせることです。これもまた、指導者に寄せられた信頼を裏切ることです。しかも、そうした指導者の欺瞞は、遅かれ早かれ見破られるでしょうから、そうなると彼は結局、信頼感の断絶によって信用を失ってしまいます。

【池田】 おっしゃる通りです。指導者は、民衆に迎合するために自己を欺いてもなりませんし、自己の信念を通すために民衆を欺いてもなりません。どこまでも、真実と誠実とを根本としていかなければならないわけです。もし、自己に対しても民衆に対しても欺瞞があったならば、彼はその瞬間から指導者としての資格を失うといっても過言ではありません。そして、権力の座を保持することに終始する政治家ほど、社会にとって迷惑な存在はありません。
その点、かつて貴国イギリスの宰相チャーチルがとった態度は立派だったと思います。第二次世界大戦においてイギリスを国難から救った英雄が、ひとたび戦火がおさまり、戦後の復興期において適切でないと国民から判断されるや、潔くアトリーの労働党に政権を明け渡しているからです。
私は、政治家に望まれるのは、自己に対しても民衆に対しても変わることのない真実、正義感、公正さを貫くことだと考えます。優れた指導者に要請される資質とは、勇気、正義、常識、寛容、礼儀などであり、それらが発揮されるための不可欠の条件とは、大衆とともに語り、大衆のために戦い、大衆のなかに死んでいくという決意でしょう。
さらに、指導者にとってその真価が問われるのは、どれだけ優れた後継者を育てたかです。後継者を育成し、その人々に道を譲っていくというこの仕事は、私利私欲にとらわれず、広く人類社会の未来を想う、愛他的な精神が要求されるものだからです。
しかし、現実には、博士も指摘されたように、そうした優れた指導者というものは、まれにしか存在しません。歴史上の人物をみても、むしろ人格的には必ずしも感心できないような指導者が、業績としてはかえって大きなものを残している例が多いのは、皮肉なことです。

【トインビー】 非民主的な国家では、指導者が武力を行使したり民衆を煽動したりして統治を行なうわけですが、そこでは、ときとして高潔で無私無欲な熱情家――たとえばロベスピエールとレー二ンなど――は、逆に冷酷・陰険で抜け目なく、機転のきく立身出世主義者よりもむしろ禍いを招きやすく、かえって役に立たない場合があります。
漢帝国の高祖劉邦、ローマ帝国のアウグストゥス、それにサラセン帝国のカリフ・ムアーウィーヤの三人は、計算高い立身出世主義的な指導者の例です。彼らはいずれも、前代の指導者に柔軟性がなかったために凋落の兆しをみせ始めていた帝政を引き継ぎましたが、その世故にたけた手腕のおかげで、それぞれ各帝国の体制を崩壊から救って建て直し、そこに恒久的な基盤を与えたのでした。彼らの世才的手腕は、倫理上は決して誉められるものではありませんでした。しかし、当時の状況下では、かえって政治上、好都合だったわけです。
私も、凡庸な資質の指導者であっては、どんな政治体制も首尾よく運営していくことはできないと思います。アメリカ合衆国の歴史上にも、凡庸な大統領が何人かいましたが、彼らは結局、煽動家や策謀家よりも、国家にとって大きな害をなしています。ソ連の歴史では、ブレジネフは疑いもなくあの怪物スターリンよりはましですが、しかし気分屋で精力家の前任者フルシチョフに代わる人物としては、見劣りがするように思われます。