投稿者:まなこ 投稿日:2017年 7月17日(月)08時42分20秒   通報
二十一世紀への対話(下)

第二部 政治と世界
第一章 二十世紀後半の世界

1 先進国と発展途上国

【池田】 世界平和にとって、南北問題――すなわち、富と技術の北半球への集中から生じている諸問題――は、きわめて重要な、同時に非常に解決困難な課題です。それに比べれば、東西問題のほうがまだ解決しやすいとさえ思えるほどです。今日みられる東西の対立も、多くはそこに南北問題が絡んでおり、それが解決をより困難にしているようにみえます。そうしたことから、南北問題が解決をみれば、東西問題の噴出の場がなくなり、対立も緩和されるのではないでしょうか。
南北問題のむずかしさは、先進国と発展途上国の格差が、たんに経済問題にかぎらず、政治、社会、文化、教育など、およそ人間の営みのすべての面にわたっていることにあります。つまり、人類の歴史におけるさまざまな発展段階の様相が、あたかも現代という時代に、この地球上に横に分布しているかのようです。しかも、その差は縮まるどころか、年を追って激しくなる一方ですそれはちょうど同じ十年でも、近代以前における十年と、産業革命以降の、とくに最近の情報化時代の十年とでは、発展の速度に格段の差があるようなものです。こうしたさまざまな発展段階にある国々が、同じスタートラインに立たされて競走している――これが現状のように思われるのです。
自由競争の原則でいくならば、おくれた国はますますおくれてしまい、東西対立の格好の餌食となりかねません。このような観点からも、南北問題は、発展途上国の国民の福祉のためだけでなく、大きくは世界平和樹立のためにも、将来にわたって人類に課せられた大問題といえるでしょう。

【トインビー】 抑制のない競争心が人間事象の支配原理であり続けるかぎり、人類の富裕少数者と貧困多数者の間の物質的豊かさのギャップも、文化的福祉のギャップも、拡大し続けることでしょう。
人類の富裕少数者の内部では、対立する超大国が世界的権力をめざす危険な競争を行ない、援助供与に名を借りて、貧困諸国を衛星国化しようとし続けることでしょう。こうした援助は、善意のない、裏に含みのある動機からなされるものだけに、被援助国にとっては真の利益にはなりません。富裕国の援助が利害抜きであるかどうかをみる決め手は、貧困国が将来自立できる方向で助力しようとしているのかどうか――この点の努力にあります。また、援助が正しい長期的目標を志向したものであるかどうかをみる決め手は、その物質的援助が精神的援助につながるよう設計されているかどうかです。つまり、物質的向上それ自体が目的となってしまうのでなく、精神的福祉への手段として推進されているかどうかなのです。

【池田】おっしゃる通りですね。ところで、国際政治という場面に限っていえば、ごく少数の未参加国を除けば、ほとんどの国々が国際連合という、平等の発言の広場をもっています。そこでは超大国も小国も平等に一票をもっているため、中小国が自らの意思を表示する格好の場であってしかるべきです。ところが、現実には決して平等ではありません。
極論するならば、現在の国連は、国際社会に現実にみられる誤りを糊塗するための、いわばカムフラージュとさえいえましょう。これを改めるには、当然、大国の考え方の転換も必要ですが、それ以上に中小諸国が、大国の力に依存せず、中小国同士の結束を強めて、自主独立の道を歩んでいくことが大切だと考えます。