投稿者:まなこ 投稿日:2017年 7月12日(水)10時10分5秒   通報
◆ 9 死刑廃止について

【池田】 イギリスでは死刑制度は廃止されていますが、日本も含めて世界の大部分の国々では、まだ死刑が行なわれています。イギリスがどのようにして死刑廃止に踏みきったかは、非常に興味のある問題です。博士は、イギリスの死刑廃止について、どのような見解をもっておられますか。

【トインビー】 イギリスで死刑が廃止されたことを、私は非常に喜ばしいと感じています。しかし、この廃止も決して驚くべきことではないのです。イギリスでは、かつてこの処置がとられるずっと以前から、警察と犯罪人たちの間に、ある暗黙の了解がありました。それは、双方とも武器を使用しないだけでなく、携帯することも差し控えようということでした。といっても、犯罪者たちが説得されて強盗などの犯罪をやめた、というわけではありません。ただ、警察側が犯罪者に対して暴力の行使を避けたので、その限りにおいて、彼らもなるべく暴力を用いずに犯行をしようとしたのです。そこで共通にめざされたことは、暴力は最小限に抑えようということでした。したがって、論理上は、死刑の廃止はそうした人道的な方向に沿う、大きな一歩前進となるはずだったのです。つまり、これに対する犯罪者側の反応としては、殺人を一切やめるということでなければならなかったはずです。
ところが不幸なことに、イギリスでは、死刑廃止に続いて起こったのは、職務上犯人の逮捕にあたった警官たちが次々と殺害されるということでした。すでに死刑が廃止された今日では、犯人としては次のような計算が成り立つのでしょう。つまり、自分が警官に逮捕されてしまったらそれまでで、その犯した罪が重ければ、長期間の禁固刑に服さなければならない。そこで、いっそのことその警官を殺してしまえば、その後逮捕されたとしても、最悪の場合でせいぜいもっと長期間の服役をすれば、それですんでしまう。あるいは、自分を逮捕しかけている警官を殺してしまえば、まったく捕われずにすむ可能性も出てくる――と。こんなところに、犯人たちが警官を殺害しようとする動機がひそんでいるわけです。
こうした新しい事態が生じたことによって、警察の仕事は以前よりも危険になりました。そこで警察側としては、公務執行中の警官が犠牲となった殺人事件の場合は、それに対する刑罰として死刑を復活すべきであると提案しているのです。

【池田】 私は、そうしたイギリス警察の考えは、無理もないとは考えます。しかし、それでは死刑を復活させれば警官の犠牲はなくなるかというと、そうでもないことは、諸外国の例をみれば明らかです。
私はあくまでも死刑は廃止されるべきだと考えます。死刑廃止論を唱える人は「人が人を裁き、その生命を奪うことは許されない」というヒューマニズムの精神か、または「死刑を廃止しても犯罪は決して増加しない」という根拠に基づいています。一方、死刑の存続を主張する人は、死刑が犯罪の抑止力になるという効果を説いています。しかし、死刑に犯罪の抑止力という効果があるにしても、そういう考えには、殺されたことへの報復という思想や、生命を奪うことによって他への見せしめにしようという思想があるように思われます。
報復は必ず新たな報復を招き、悪循環をもたらすものです。また、見せしめという点についていえば、私は、絶対的に尊厳である生命を、生命以外のもののために手段化するのは、断じて許されないことだと考えます。生命の尊厳は、それ自体目的であり、したがって、もし何らかの社会的な犯罪抑止力が必要ならば、死刑以外の方法を考えるべきです。 見せしめのための死刑というのは、人間社会につきまとってきた残忍性のあらわれであり、現代において、ますますその傾向は強まっています。現代における生命軽視の風潮はそのあらわれであり、そのような風潮を生み出している最大のものは戦争です。戦争は、多くの場合、国家がその利益のために人間生命を手段化し、犠牲にするもので、これ以上の罪悪はありません。これを許しているかぎり、凶悪な犯罪の温床は広がり、深まる一方です。