投稿者:まなこ 投稿日:2017年 6月29日(木)09時00分0秒   通報
【池田】 これまでの人間観にあっては、概して、その一部である社会的存在としての側面には非常な関心が払われてきましたが、この人間存在の淵源である生命的存在としての考察は、軽視されてきたきらいがあります。
人間が生命的存在であるということは、いかなる社会、国家、民族をも越えて、普遍的かつ絶対的な命題です。これに対して、社会的存在としての人間は、時代、民族、国家などによって異なってきます。その意味で、人間が真に人間らしく生きるには、まずこの生命的存在であるという、自明の原点に立たなければならないと私は信じます。そして、人間が厳然とこの認識に立つことが、現代の要請である普遍的価値観を築く出発点になると思うのです。
では、人間がこの原点に立つときに生まれてくる価値観とは何か――。それは当然のことながら、人間のこの本質的なあり方を決定する生命の尊厳を常に第一義とする考え方、生命を代価物のない至上の価値として認識すること、となりましょう。

【トインビー】 生物が本然的にもつ衝動は、己れの利己的な目的のために他の生物を、そして自己を除く宇宙のあらゆるものを利用しようとすることです。しかし、これは正しい態度ではありません。およそ生あるものは、自らを宇宙から遊離した存在とみなすのではなく――ましてや一種の反宇宙的な存在とみなすことなく――それぞれが宇宙の不可欠の一部であることを知らなければなりません。
こうした態度にみられる真実の視野こそが、奪う代わりに与えるよう、また貧る代わりに愛するよう、人間の心を高めてくれるのです。このことは、すべての高等宗教、高等哲学の教戒となってきました。

【池田】 言葉こそ違え、私たちの主張は一致するものです。そうした真実の視野に立つとき、人間が現実生活でとるべき態度、行動は、最高の価値としての生命の尊厳に立脚しつつ、宇宙のあらゆる生物を包容していくことでなければならなくなります。
われわれが現在の体制の矛盾を解決しようとするとき、まず、人間が宇宙、自然に本源的に関わり合いがあるという、この価値観をもつことこそ、最も大事なポイントであると思います。

【トインビー】 人々はこれまで自分たちを、ある限られた社会の成員とみなしてきました。かつていかなる社会も――いかなる伝道的宗教でさえも――全人類の帰属を獲ち得たことはありません。現代に入って初めて人類は一体化されましたが、それもこれまでのところ、たんに技術面での一体化にすぎず、社会面、宗教面での一体化はまだ達成されていません。
技術面での地球の一体化は、今日すでに既成事実であり、否定することはできません。しかし、もしこの一体化が技術レベルの域を出ないならば、それは世界的な兄弟愛をもたらすものではなく、相互破滅を招くだけでしょう。われわれは事態をこのまま放置しておくわけにはいきません。どうしても、精神面での一体化を急がなければならないのです。 われわれは、あらゆる人間の目を開かせ、そこから人間が全人類を包含する社会の一員であり、人類が全宇宙的な生命体の一部であるという自覚をもたせるような、世界的宗教を必要としています。われわれの精神的な目標は、宇宙と地球人類家族をそれぞれ代表する個人との、調和を築き上げることにおかれるべきです。

【池田】 その点、まったく同感です。そうした調和を確固たる前提として踏まえたときに、初めて社会的存在としての人間のあり方の新たなパターンも生まれ、新たな社会論、体制論も成立するものと信じます。