投稿者:まなこ 投稿日:2017年 6月15日(木)08時41分9秒   通報
【トインビー】 ここで、世界経済が安定し、オートメ化が進んだと仮定しますと、おそらく、世界人口の大半が経済活動から締め出されることになるでしょう。また、各個人の物質的生活水準には上限ができることでしょう。そして、福祉国家においては、階級間、職業間の物質的生活水準の格差は比較的小さくなるでしょう。一方、生活に必要なものが保障されているため、その意味では、誰もが経済保障の恩恵にあずかることになるでしょう。
そうした体制下では経済的な刺激がありませんから、幸福の尺度を物質的な成功や満足ということにおくかぎり、人々は不幸にならざるをえません。したがって、彼らは追求すべき目標を方向転換させないかぎり、幸福を取り戻すことはできないでしょう。つまり、経済的な目標を放棄して、精神的な目標を開拓しなければならなくなります。
この精神革命(スピリチュアル・レボリューション)を成し遂げるためには、人々は、自ら人生の意義と本質とを明確に見きわめていく必要があるわけです。

【池田】 そうです。まさに精神革命こそ人間の福祉にとって不可欠のものとなってきています。人間は、体制や技術の変革のみによっては、幸福を得ることはできません。私どもも“人間革命”(ヒューマン・レボリューション)の必要性を訴えてまいりましたが、いずれにせよ人間精神、人間生命の根底からの改革による以外に、解決の道はないと考えます。
そして、この本源的な次元から、長期的な視野に立って考えますと、現代人は経済面においても、いかに愚かな誤りを犯してきたことかと痛感せざるをえません。日本人のGNP(国民総生産)信仰などは、その最たるものであるといえます。
周知の通り、第二次大戦後の日本は、GNPの成長を絶対視し、欧米先進諸国の水準に追いつくことを目標に、貪欲な利潤追求の精神を発揮して、飛躍的な高度経済成長を遂げたわけです。ところがその結果はどうだったでしょうか。国民は、いつまでも人間性を無視した過酷な条件のもとで働かされるばかりで、事態の好転の兆しはなく、狭い国土にはいたるところ公害が吹き出物のように噴出しています。また、日本製品の世界市場への進出に、当初は驚嘆した世界の人々も、最近ではむしろ反感を強めています。これに対してようやく日本政府も、福祉の方向を考え始めたようですが、しかし、はたしてどれだけ真剣に実現しようと努力しているかとなると、残念ながら大いに疑問視されているのが現状です。
私は、一国の経済力を測る指標としてのGNPにはそれなりの意味は認めますが、経済の基本的な指標としては、むしろその国の経済力がどれほど国民の福祉に貢献しているかを示すGNW(国民総福祉)が、より重視されねばならないと考えています。そして、それも精神的福祉水準の向上に比重がおかれたものであるべきでしょう。

【トインビー】 GNPは、一国を構成する人々の、経済的な繁栄度を示す指標でさえありません。統計学者たちは、一国の人口でGNPを割った数字をもって“国民一人当たり平均所得”としていますが、これは無意味な考え方です。こうしたことを数量化すること自体が、とんでもない間違いなのです。むしろ“一人当たり平均物質的ダメージ”の指数のほうが、まだ意味があるでしょう。なぜなら、自由競争経済の社会にあっては、GNP増大にともなう被害の分布は、住宅などに関しては不均等ではありますが、空気、土地、水その他の自然環境構成物の汚染となると、一国の住民がすべて平等に被害をこうむるからです。汚染は、貧しい母親の子供も金持ちの母親の子供も、同じように毒します。
国家の第一義の目標がGNPの増大におかれるような国では、個人間や階層間の経済競争が激化しがちです。したがって、GNP配分の不平等もさらにひどくなるわけです。たとえば、部分的に福祉国家となった今日のイギリスでも、貧困線以下の少数者にとっての住宅事情の悪さには、衝撃的なものがあります。つまり、イギリスでは、そうした生活必需物をすべての国民に保障できずにいるのです。
私もあなたと同じく、国民総生産ではなく、国民総福祉をめざすべきだと思います。そして福祉を測る尺度としては、私は次の諸点を考えています。
第一に、社会における成員間の調和度とお互いの親切度。第二には、一人当たり平均精神的福祉。これによって調和度と相互の親切度とが決定されます。第三に、自己超克の平均的水準。これは精神的福祉のカギとなるものです。第四には、社会が物質的、精神的汚染の防止のために利潤追求を差し控える度合い。この最後の尺度は、その社会が、精神的福祉を物質的豊かさに優先させることに、どこまで成功しているかを試すものです。