投稿者:まなこ 投稿日:2017年 6月 5日(月)08時00分7秒   通報
◆◆ 第四章 健康と福祉のために

◆ 1 医学における倫理観

【池田】 近年、医学技術は、西洋近代科学の発達とともに、目をみはるような進歩を示しています。とくに二十世紀後半に入ってから、生物学、生化学等の基礎的な学問の領域や、外科技術、麻酔等の分野では、その進歩は著しいものがあります。
この結果、かつては侵すべからざる“神聖な領域”と考えられてきた心臓や大脳にまでメスが入れられるようになりました。臓器移植や、人工臓器による入れ替え等も、すでに特殊な症例ではなくなり、一般庶民の手の届く範囲に入ろうとしています。そして将来は大脳移植による人間改造という、極端な手術が行なわれる可能性さえでてきました。薬学もまた進歩しつつあるため、薬を利用して、思考や記憶や欲望さえも自由に操作する日のくることも、夢物語ではなくなろうとしています。
こうした人間の身体や心の健康、病気を対象とする医学は、そこに倫理という問題をともなってくるため、医学と倫理の関係については、とくに深い関心が寄せられるべきでしょう。

【トインビー】 現代の科学にあっては、医学部門においても他の部門と同様、その業績のカギとなってきたのは、選択であり、定量化であり、機械化、非人格化でした。しかし、人間を基準として考えるとき、そのような代償を払って得た医学上の成果が成功に結びつくという確信を、はたしてわれわれはもてるでしょうか――これは疑問です。

【池田】 まさに、その点が重要なところです。医学が人間生命を直接左右する力をもてばもつほど、それを医師がどのように使うかが、大きな問題になってきます。医学の力は、これを善用すれば、人間の幸福に測り知れない貢献をします。しかし、もし悪用すれば、人間生命を破壊しかねません。
ところが今日、医師の側において、生命の尊厳に対する畏敬の念が薄れ、倫理観の低下が問題にされています。もちろん、今日に至る以前にも、倫理観の欠けた医師はいたでしょう。しかし、それは少数であり、また医学の力がまだ巨大でなかったこともあって、それがもたらす弊害は、今日のそれに比べればずっと軽微なものでした。

【トインビー】 まさにただいまの御意見に示された通りで、現代の医業は、患者からも、そして結果的には内科医や外科医自身からも、尊厳性を奪い去りかねません。尊厳性を奪われた生命はもはや人間生命ではなくなり、そのような生命を望む人もいないでしょう。この点から、私は、内科ないし外科による特定の処置が適切であるかどうかの基準は、それが人間の尊厳にとってどういう影響をもたらすか、ということにあると考えます。その処置が人間の尊厳を守るものであるか、それとも損うものなのか――すべてはそこで決まるわけです。

【池田】 私も同じ意見です。日本では、昔は“医は仁術”といわれてきました。仁の術、つまり、慈愛ある治癒の術であったのです。医師は、そうした意味で、人々から尊敬され、信頼を集めていました。