投稿者:まなこ 投稿日:2017年 5月21日(日)10時32分40秒   通報
◆ (2)生涯教育について

【池田】 次に、具体的な話になりますが、個人の才能を開発し伸ばしていくためには、一人の教師が何十人もの青少年をみなければならない現在の学校教育のやり方では、目的を達しえないだろうと思われます。
人間には、それぞれ能力の違いがあり、その人なりに何らかの優れた長所や資質をもっているものです。その各人の内奥にある長所や資質を、生活、実践の場でいかに引き出すかが、カギであるといえましょう。そのさい、周囲の人々として心がけるべきことは、児童に対して、家庭にあっても学校にあっても、学問ができる、できないということだけで縛りつけるようなことがあってはなちない、ということです。
人生は、学校教育で教えることだけで律せられるものではありません。学生時代の優等生が必ずしも人生の成功者とはかぎらないという事実が、これを証明していると思います。学校教育の年代にはあまり目立たなかった人が、中年期あるいは晩年になってから、優れた才能をあらわす場合も多々あります。また、学問それ自体が年々発達し進歩しているため、学校時代に学んだ知識が、年月が経つと、もはや時代おくれの役に立たないものになってしまっていることが、少なくありません。

【トインビー】 知識が常に増大し、しかもその解釈がたえず変化している今日の世界では、フルタイム(全日制)の青少年教育だけでは十分ではありません。引き続いて、生涯にわたるパートタイム的な自己教育をしていく必要があります。今日では、年少期に学んだことだけでは、その後の人生を生きるのに、もはや十分ではありません。このことは、学生が学校教育で得た資格や大学を卒業して得た学位が、その人の一生にわたる評価とはなりえず、たんなる仮の評価とみなすべきことを意味しています。
われわれは、成人してからも、おのおの繰り返しテストされ、再評価される必要があります。つまり、各人が人生の各時期ごとにどれだけ実績をあげたかが、そのテストとなるべきでしょう。人がまだ十六歳とか二十二歳とかの年齢で、ただ一度だけのテストで一流とか三流などと等級づけられ、それで終わりというのはバカげており、不当なことです。 人間には、人生の晩年期に花を咲かせる晩成型の人もいますし、反対に、若いときに輝かしいスタートを切りながら、その能力が実を結ばずに終わるという人もいます。ウィンストン・チャーチルは、子供の頃は明らかにおくてであり、青年期には明らかに才気換発であり、中年期には明らかに失敗者であり、六十代にはまぎれもなく偉大な人物でした。 イギリスの歴史に決定的な影響を与えたもう一人の人物は、七世紀のギリシア人キリスト教宣教師、タルソスの聖テオドロスでした。テオドロスが、イギリスのキリスト教会改革の目的で派遣されてきたのは、チャーチルがイギリスを侵略から救うべく首相に任じられたのと、ほぼ同じ年齢の頃でした。チャーチルと同じく、テオドロスは自分の使命を見事にやり遂げました。彼は、六十代、七十代の二十年間にわたる奮闘によって、イギリス国教会を改革したのでした。彼らとは逆に、晩年を期待はずれに終わった人々の例も、もちろんあるわけです。

【池田】 実際問題、社会に出たときには、学問に示される能力は、その人の人間としての価値を決めるものではありませんね。むしろ、心の広さや、生活のうえで身につけた経験の深さなどのほうが、より大きな価値をもつことが少なくありません。また、もてる才能を発揮し尽くすには、知的労働と肉体労働とでは差はありますが、頑健な身体と、神経の機敏性ということも、必要になってくるでしょう。
そのためには、学校教育においても、机上の学習だけではなく、社会との接点をつくって人生の経験を踏ませる方法を考えるとか、課外活動や共同生活の経験をもたせるよう、なるべく多くの機会を設けなければならないでしょう。現在求められている教育のあり方として、私は、この全体人間を志向した人間教育の必要性を強調したいと思います。

【トインビー】 さきにも述べたことですが、成人期に教育を続けることの利点の一つは、成人者は自分の個人的な経験を、学問的に――つまり間接的に――学ぶ事柄に関連づけることができるということです。ここでさらに付け加えたいのは、課外活動や共同生活を通じて実際的な経験を積ませることについても、青少年教育のなるべく早い時期にその機会を与えなければならない、ということです。
このことは、イギリスでは従来の、いわゆる“パブリック・スクール”という教育制度のなかにみられます。そうしたパブリック・スクール――といっても実際には公立ではなく私立の学校なのですが――のいくつかは、たしかに体制側の温床であるとの批判は免れません。しかし、これらの学校では、年長の生徒たちに実際に権力を行使させ、責任感を養う機会を与えています。これは大事なことです。この点、私には、イギリスのパブリック・スクールは貴重な模範を示してきたと思えるのです。私自身、そうしたパブリック・スクールの一つで教育を受けましたが、生徒会長は常に「権力は人格の試金石である」というギリシアの格言で戒められていました。
人間の能力は多種多様であり、これら多種多様な能力はすべて社会的に価値があるものです。各個人がもつ独自の能力というものは、すべて発掘し、育成すべきです。それを可能にするには、学生たちに、実際に経験を積み、それを生かす機会を与えてやらなければなりません。また、理論と実践とが互いに補足し合い刺激し合うような、一体化した教育を、生涯続けることが必要です。