2017年12月5日 投稿者:カンピース 投稿日:2017年12月 5日(火)21時54分27秒 通報 編集済 「珍・人間革命」常楽の章を、単行本掲載部分と珍聞連載部分と比較して、その省略部分や書き足し部分を検証してみた。 結果として、81ヵ所の変更部分があったことを御報告したい。 見逃せない省略部分に関しては、事前に省略部分として投稿させていただいた。 あとは、山本伸一を伸一にしたり、〇〇博士を単なる博士としたり、同様の事を言いながら別の言葉に言い換えたりしているのが目立つ。 あとは、形容詞を省略したり、付け足したりである。 さすがに、御聖訓の引用に関しては、変更や省略は無かった。 小生も、省略の全てが悪いと言っている訳ではない。それは新聞連載上の文と単行本との文に違いがある事くらいは分かるからだ。 しかし、あえて素朴な疑問をぶつけてみると、まがいなりにも「師匠がつづってくださった」「師弟と学会精神の正史」ではないのか?。 同じような事が書かれてあるのなら、あえて書き足したり、省略する必要はなかろうし、大省略などもってのほかであろう。 ページの行数の問題とかもあるかもしれないが、できる限り連載部分を生かすのが、読者に対しての礼儀ではないだろうか?。 以上は読者としての面から見た分析であるが、別の視点から見た場合はもっと深刻かもしれない。 それは、編集・製本する立場から見た場合、仮にも自身の師匠が書いたとされる文章である。 まがいなりにも弟子の立場をとるのなら、変更だの省略だの考えもしないのではないだろうか? その考えもしないであろう変更だの省略だのが、81ヵ所もあるのは、編集・製本される立場の方々に師弟の想いはあるのだろうか? という事だ、これは、裏を返せは、師匠が直接書かれていない事を知っているからできる事ではなかろうか? もし、直接書かれた、あるいは監修されたという事を知っていれば、省略や書き換えなどできっこないし、 また、執筆チームなりの方々からも、大苦情が入るだろう。 それが無い、あるいは表面化しないのは、まさに師匠の意ではない「珍・人間革命」であり、その執筆チームとやらの地位も、 以前の師匠が直接かかわられていた時よりは、かなり地位が落ちてきたのではないだろうか? Tweet