投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2017年 8月12日(土)09時58分35秒   通報
⑦日蓮正宗的な文底法門の観点からは、「地涌の菩薩」や「虚空会」が文上の法華経の表現であって、それらの本地が
久遠元初の世界にあることを戸田は知っていたが、11月の神秘体験のなかではあえて「虚空会」体験と「地涌の菩
薩」の自覚を得たという文上的な表現をした。しかし、これをそのままの表現で「創価仏法の原点」とすることは、
今日の創価学会が文上の法華経に拘っていることにならないか、という疑問が残る。
とはいえ、「地涌の菩薩」とか「虚空会」とかの法華経の文上的な表現は、文底法門に入る関門として必ず借用し
なければならない文上の用語であるので、これを使ったからといって、ただちに使用者を文上の法華経の表現者であ
ると決めつけることはできない。
⑧戸田は、1951年の会長就任のときに「発迹顕本」した(第2回目の回心)といっているが、それではそれ以前の
獄中の神秘体験(第1回目の回心)は「発迹顕本」以前ということになってしまう恐れが生まれる。また、それを原
点とする「創価仏法」も「発迹顕本」以前ということになってしまう危険性がある。「発迹顕本」発言についての戸
田の真意の解明と、それと獄中の神秘体験の関係についての無矛盾的な説明が求められている。
⑨戸田は、「虚空会」で「大御本尊」に唱題している自己を体覚したといっているが、このときの「大御本尊」とは
(異論があるにしても筆者の見解では)大石寺の戒壇本尊にほかならなかったであろう。戒壇本尊への深信は、「発迹
顕本」の前後を問わず、戦後の戸田の一貫した信念であった。それにも拘らず、何度も述べたように、創価学会は戒
壇本尊を「受持の対象にしない」と決めた。戸田の広宣流布とは戒壇本尊信仰の広宣流布を意味していた筈であった
から、戒壇本尊と獄中の神秘体験の関係も分けて考えることはできない。戒壇本尊を受持の対象から外してからの、
戸田の広宣流布観と今日の創価学会の広宣流布観の違いが注目されるところである。
⑩2013年の広宣流布大誓堂の完成以降、創価学会は、戸田が会長に就任した直後に日蓮正宗の法主(水谷日昇)か
ら下付された「広宣流布大願成就」の本尊を広宣流布大誓堂に掲げて、この本尊を戒壇本尊の代わりになる創価学会
の中心的な本尊として定めた。だが、戸田は戒壇本尊への深信を以てこの本尊を受けたことに間違いのないことであ
るし、たとえそれがなくても、日蓮正宗の伝統法義に従えば、この本尊も、戒壇本尊を基本とした法主の書写したも
のでしかない。戒壇本尊を含む創価学会の新しいホリスティックな本尊観が求められるところである。