投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール 投稿日:2017年 6月28日(水)20時41分13秒   通報
本日は、時間が空きましたので・・・もうひとつ。

まず、日蓮仏法2(松戸様)

どうか、日蓮仏法様の投稿を楽しみにしている人たちがいることを忘れないでください。お待ちしてます・・

松戸様は教学と宗派を問わず受け入れて戦っておられますよね。

すごいと思うところは、その活動範囲にイスラムの方も入れておられるということです。

彼らも人間・・何かの信徒の前に人々は全て人間であるとは師匠・・

さて、さて、皆様、一人立て・師と同じ思いをと随分以前から言われておりますけれど・・

私が松戸様やセルビアの片野さんを尊敬できる点は、既に一人立たれているところです。

後ろには誰もいない・・。後にも、もう戻れない・自分が倒れればついて来てくださっている人々を不幸にしてしまうという恐怖感・

自分が間違っていれば、また大きな仏罰を受けてしまう。まさに、薄氷を踏む思いで進んでおられると存じます。

ですから真剣そのもので、その息遣いが聞こえてくるようです。

そこにあるのはおそらく御本尊様と師匠の指導と慈愛しかないと思われます。

先生だったらどうされるか・・・。先生が戸田先生だったらどうされるかと・・頭をひねっておられたように・・

孤独で壮絶な戦いをされている点です・・

組織内の幹部であれば、役職を持っている間はなんとか危なげにやる・・役職が無くなればどうでしょうか?

活動から逃げることや休むこともできます・・ね。これは、皆さんもよくご存知でそのような幹部を見ておられると思いますし、

私同様、自ら経験をお持ちの方もいるでしょう・・

宮川日護師。まだ、お会いしたことはありませんけれど戦い続けなければ押しつぶされる・・壮絶な戦いをされています。

他にも、そのような壮絶な戦いをしている方々がいます。ここで名前をあげれば・・一派と見られますでしょうし・・

その方々に迷惑もかけるので書きません。

このような戦いをやっておられる方々に共通して言えることは愚痴がないこと。

私なんか足元にも及びません。
イスラム教のいいところ、悪いところ様々ありますが・・既に、少し書きましたけれど・・

人はある程度の戒律を保つ生き方がいいのかもしれません・・

宗教の奴隷になるのではなく、子羊になるのではなく。自ら課す戒律的なもの・・

そうすれば、準レイプを働いたり、幾人の女性をXXXしたり、五口の財務で大金を抱いて毎晩寝るような最高幹部や

日本の政界を、学会を牛耳っているなどと傲慢にも、銀座界隈を毎夜徘徊することもないでしょう・・

公衆の面前でババアにブチューはいけません。ババアが死んでしまいますよ・・キチガイめ・・とは、ある人の言・・

私が過去一番知りたかったことがあります。

仏教はローマまで足を延ばしました。しかし、ペルシャ(アラブ)あたりから次第にブレーキがかかってきてしまった・・

どこで止まってしまったのか・・なぜ、なのか、これの探求はいまでも続いています。

イラクにも仏教経典が確か博物館に保存されていました・・イラク侵攻の際、盗まれてしまいましたが・・

西方に近づくと仏像の顔は彫りが深くなって、アジアの我々が慣れ親しんでいる釈迦の顔が西洋人になっていきます。

私の大きな疑問・・西洋方面での布教、誰が最後の伝道者だったか?

どこが最西の地だったか・・などとバカなことを考えてしまいます・・

話は変わります・・

いま私たちは「日蓮仏法2」で主張されるように、自らのバージョンアップが必要なのでしょう。

恐れずに・・

そして仏の慈悲

そこに仏があったればこそ人類を救おうという意思があるはず・・

法だけでは・・物理学的思考になってしまうようにも思います。

勝手な想像ですが、人・・仏_菩薩いま、新しい菩薩像が必要なのかもしれません。

生き生きと宇宙に人間にダイナミックに躍動する法の獲得・顕現・・そこに、仏の慈悲が息ずいているとおもいます。

そこには何かの意思が働いている。大宇宙の意思・・それが仏の意思であり、仏の大慈悲ではないでしょうか。

久遠を知るとは自らを知ることでしょう・・永遠の誓いを思い出すことにも通じます。

久遠から息づく我らの生命、久遠・・始めも終わりもない永遠の生命・・

仏と一体となる生命境涯・・壮大ではありませんか。

一人立て、ホッシャクケンポンとは、自らの久遠の生命を知り、仏の旗を掲げ、師匠に続けと民衆救済に立ち上がることではないでしょうか・・

「三世を識るを仏という」是非、その境涯になりたい・・師匠はそのために手本を示し、多くを我らに与えてくださった・・

銀座を毎晩、飲み歩けとは言われなかったようにも思います。一体、誰のお金を使ってるんだ・・