投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 2月 3日(火)11時39分29秒  

牧口常三郎・七十二歳、逮捕。
逮捕容疑は「治安維持法違反および不敬罪」でした。

連行される直前、牧口先生は「戸田君によろしく」という一言を残しています。
しかし、その戸田先生も同じ日、目黒の自宅で逮捕されていたのです。

伊豆下田で逮捕された牧口先生は、刑事をしばらく待たせ、着物を着、袴をつけ、
そして毅然とした姿で下田署までの五キロの道のりを歩きました。
それは、まるで刑事を従えているように見えたといいます。

そして下田署で一晩留置され、翌七日、東京の警視庁に向かいます。
こうして、その「獄死」までの五百日に渡る身命を賭した「国家諌暁」の闘いがはじまったのです。

警視庁の五階の取調室で、牧口先生は約一ヶ月半にわたり、連日の厳しい取り調べを受けます。

取調室は、一坪ほどの広さで、真ん中に机が二つ置いてあるだけの部屋で、
窓にはめている太い鉄の柵が、部屋の雰囲気を威圧的にしていました。

特別高等警察(特高)第二課の刑事によって検挙された牧口先生の取り調べには、
特高二課の課長が自らあたり、牧口先生はどんな質問にも、日ごろからの態度のままに、
悠然と自分の信条をあまさず述べています。

その記録が『内務省警保局保安課「特高月報』の「訊問調書抜粋」です。

訊問調書抜粋は、
内務省警保局保安課「特高月報一九四三(昭和十八)年八月分(昭和十八年九月二十日発行)」の
末尾に、宗教運動の研究資料として摘録されたものが残っています。

当時の学会幹部の証言によると、
その訊問調書の供述は、牧口先生の筆答が大半であることが判明しています。

牧口先生は、聞き取りをもとに特高二課で作成した訊問調書に、
法華経や日蓮仏法の教義など難解な部分は、自ら筆をとり加筆、訂正までしました。

ふつう被告が書くことはありえない取調べ調書を、検事の許しを得て自分で書きはじめるのです。

この取調べ調書を書き、当時の軍部政府に提出することこそが、獄中での闘いだったのです。

その訊問調書資料の内容は、「牧口常三郎全集十巻」に詳細に記されています。
この訊問書を見ていくと、牧口先生が国家権力に対して、
厳然と国家諌暁していることがわかります。