投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール 投稿日:2017年 5月11日(木)12時22分43秒   通報
戸田城聖全集 第三卷より

日本の氏神、梵釈に攻められ、日本の梵釈、力弱くして氏神を罰するに功力なく、他国の梵釈にしかりをこうむっているのである。

かく日本国を観ずるとき、朝鮮民族が、いま朝鮮国内の氏神に捨てられたりするか、氏神、東方の仏教を求むる人なきによって国を捨て、聖人、所を去りませるか。吾人はこれを知らず、ただ佛眼により仏の御鏡に照らして、さてはと、これを嘆ずるのみ。

ある人いわん。
「おまえは日本国すらおまえの真の仏法が弘まらぬに、どうして他の国をいいだすのだ。自分の国に仏教を弘め、しかるのち、これをいうてはどうか。本末転倒の観がある」と

吾人の朝鮮民衆の身の上を仏教に照らしてこれを論ずるのは、きのうは日本の身の上、今日は朝鮮の身の上、あすはまたいずこの国の運命とせんやと、世界民衆を憂(うれ)えるとともに、仏の金言むなしからざるを思い、かつはこの騒乱の姿こそ、日蓮大聖人の仏法が東洋に広宣流布する兆しなりと確信するがゆえである。

大聖人の御仰せに、
「天竺(てんじく)国をば月氏(がっし)国と申すは仏の出現し給(たもう)べき名なり、扶桑国(ふそう)をば日本国と申すあに聖人出で給わざらむ、月は西より東に向かえり月氏の仏法の東へ流べき相(そう)なり、日は東より出ず日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相(ずいそう)なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明・月に勝れり五五百歳の長き闇を照らすべき瑞相なり」(勘暁八幡抄 御書五八八㌻)