投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 2月 1日(日)23時42分35秒  

創価教育学体系・第一巻では、
科学と宗教・芸術とは領域が異なり、科学だけでは宗教的問題のすべては解決しないことを述べ、
ただ科学と重なる領域での説明を「宗教と科学」の矛盾があってはならないと述べられるのです。

そしてこの一巻の段階では、
まだ後に主張するような「宗教の科学的証明」ということは全く述べられていませんでした。

そして「創価教育学体系・第一巻」出版後、四ヶ月もたたずに一九三一(昭和六)年、
牧口先生六十歳・入信四年目に『創価教育学体系・第二巻「価値論」』を出版します。

つまり第一巻では、人間の生きる目的を「幸福」に置き、その幸福を「価値」の獲得と定義して、
次の第二巻で「価値」の内容について考察していくのです。

そして牧口先生は、日蓮仏法を「価値論の観点」から多くの人々に理解させていきました。

なぜそうしたかというと二点あります。

一点目は「日蓮仏法が真理である」ということを理解させるための
「手段」として価値論を使ったということです。
簡単にいうと仏法とは本来、成仏のための修行法を説いたものですが「仏」とはどういう存在であり、
日蓮大聖人の説く「修行法のみが正しい」ということを価値論によって説明したのです。

牧口先生は価値論によって日蓮仏法が科学的「超宗教」(牧口常三郎全集八巻八一頁)
であることが証明できると考えていました。

二点目は、日蓮仏法に従った「生活」がどのような意義を持っているかを
説明するために価値論を使ったということです。
牧口先生は一九四一(昭和十六)年《牧口七十歳》ごろから、
日蓮仏法に従った「生活」こそ、最高の生活(大善生活)であると強調していきます。

これは、道徳の根底に仏法を置いたことを意味し、
仏法を生活法と無縁なものと解釈してはならないという主張です。

牧口先生は「価値論は信仰への梯子段である。梯子段なしでは二階へ上がれない」と述べています。

このことについては、副会長の和泉覚氏も、

「私たちは、どちらかというと牧口先生をとおして耳学問で勉強した方だ。
それで牧口先生は『価値論は御本尊に到着するハシゴだよ』といつも話され、
信心の原典である御書の重要性の方をむしろ強調されていた。
そのことを本当に理解し、自身で受け止めていた人は、退転するようなこともなかった。
しかし、そのことが分からずに価値論だけに走っていた人も実際にはいて、
ほとんどみな退転していった。
これは後世への重要な戒めでもある」
(創価学会の歴史と伝統「昭和五十一年六月六日 聖教新聞社発行」二六頁)と証言しています。