投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 2月 1日(日)23時40分4秒  

それは、一九三〇(昭和五)年に刊行した『教育学体系』第一巻の「教育学組織論」で
「もとより我々といえども、科学をのみ万能視するものではない。
科学の力を以て、宗教や芸術の領分までも解釈し、解決し、得べし、とするものではない」
(牧口常三郎全集五巻三〇頁)と述べていることからも明らかです。

むしろ牧口先生は、宗教への関心は強かったように思うのです。
というのは、北海道時代(当時二十八歳)の一八九九(明治三十二)年五月十三日に、
北海道師範学校の食堂で開催された「同校同窓会」の席上で請われて行った演説「山と人生」
の論文を見ても、その一端が見受けられるからです。

そこには
「宗教家が山において大観することや、日蓮の身延山に入り、空海の高野山に入り、
最澄の比叡山に登りて一派の宗教を開くが如きは、日本の宗教が山において発達せりと云ふを得べし・・・・

世界の大宗教は又、山において発達せり、
釈迦のヒマラヤ山中の霊鷲山において仏教三千年の基を開きしが如き・・・・

要するに、半島が両陸間交通の媒介をなすが如く、山は実に天と人とを結び交際せしむるもの」
(牧口常三郎全集七巻三四四頁)と述べ、

さらに
「吾人はこれ点より観察して、天を知り、天を解し、天と融合するを得べし。
そして天に近くと共に益々、その勢力広大無辺なるを知るに比例して自己の微弱なるを知り、
これにおいて吾人は高等なる一の勢力に支配せらるを悟る、これ宗教趣味のよりて生ずる所なり」
(同三四六頁)と結んでいます。

このように宗教が
「個人の精神界に偉大の影響ある」(一九〇三年十月十五日、文會堂書店刊「人生地理学」七〇七頁)と、とらえる牧口先生の態度は一貫しています。

そして同じく『人生地理学』の《宗教上の吸引力》に

「人智の発達に従って宗教心の減退するか否かは別問題として、
宗教と崇拝地との関係が人智の発達と共に、疎隔するの傾向あるは争うべからざる事実なり。

発達したる人民は必ずしも宗教の起源地、其の他の霊地を参詣せずとも
内心の信仰によりて其の宗教心を満足するを得るに至るが故なり
(同九二四頁)と明確に述べています。

牧口先生は、宗教が人間の精神面において偉大な影響力を持っていると自覚しつつも、
その宗教宗派の「起源地やその他の霊地」に価値を置いていたのではないのです。